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TOPTALK & INTERVIEW100年後の世界遺産を目指す「海岸線の美術館」とは〈後篇〉 

2026.08.28

100年後の世界遺産を目指す「海岸線の美術館」とは〈後篇〉 

公共空間は、多くの人が“私物化”することで豊かになる
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東日本大震災により、まちの約8割が壊滅した宮城県石巻市雄勝町。この地では2022年から、自然災害に備えて築かれた巨大な防潮堤をキャンバスに壁画を描く「海岸線の美術館」のプロジェクトが始まり、現在13点の作品が展示されている。

前篇では、館長の高橋窓太郎さん、そしてアーティストの安井鷹之介さんとともに、地域住民との交流や、この土地の風景から生まれた作品のいくつかを巡った。続く後篇では、プロジェクトが住民にどのように受け止められているのかを聞きながら、防潮堤という公共空間に絵が描かれることの意味と、美術館がこれから目指す姿を探る。

 


海岸線の美術館の作品は、上記の地図に示した位置関係で展示されている
    • 高橋 窓太郎(たかはし・そうたろう)さん
      海岸線の美術館館長
      東京都出身。東京藝術大学建築科を卒業後、電通に勤務。2019年にビジネス研修で訪れた石巻市雄勝町で、巨大な防潮堤にアートで新しい風景を創る可能性を見出し、「海岸線の美術館」プロジェクトを発案。22年に電通を退職し、現在は館長として「まち全体を美術館にする」という目標に向け活動する。
    • 安井 鷹之介(やすい・たかのすけ)さん
      愛知県出身。東京藝術大学彫刻科卒業。MAHO KUBOTA GALLERY所属。大学在籍時、ミケランジェロやロダンなど古典から近代までの彫刻を学びつつ、欧米の現代アートの潮流にもふれる。石膏と布で造形した彫刻で注目を集めるほか、独特のボリューム感を持つペインティングも制作。「海岸線の美術館」では現在10点の作品を手がけている。
    • 大和 千恵(やまと・ちえ)さん
      宮城県仙台市出身。東日本大震災の約2ヶ月前、雄勝町で漁業・養殖業を営む大和恵一郎さんとの結婚を機に、移住。現在は三人の子どもを育てながら、漁師の仕事を手伝う。海岸線の美術館の地元スタッフとして、主に地域との連携を中心に活動。

防潮堤の壁画が、地域の過去と今を重ねる存在に 

海岸線の美術館館長の高橋さんとアーティストの安井さんと共に、作品「HIGHLIGHT|ハイライト」「THEORIA│テオリア」「A FISHIERMAN│漁師」を巡った。途中、車中から雄勝に伝わる神楽をモチーフにした「大首絵」なども見ることができ、最後に向かったのが、名振湾(なぶりわん)エリアに位置する「BIG CATCH│名振のおめつき」だ。 

作品は防潮堤の海側に描かれ、松の木越しに鑑賞する構図になっている

「うちの漁場は、ここから少し先の島の近くにあって、陸に戻ってくるときにこの絵が目に入るんです」。そう話すのは、家族とともに漁業を営み、雄勝町で暮らす大和千恵さん。大和さんは、作品の題材である地域の祭り「おめつき」について教えてくれた。 

大和:おめつきは、この地区で200年以上前から続いていた、火災が起きないように願う「火伏せ」の祭りです。かつて大きな火事があったことから始まったと伝えられています。女性の神様を祀るお祭りなので、その神様を喜ばせるために、神輿は男性しか担げません。男性の身体の一部を象徴的に祀ったり、色事をテーマにした即興の劇を披露したりと、独特の風習が受け継がれていて、珍しい祭り、いわゆる“奇祭”としても知られていました。 

おめつきはまちの一大イベントで、その日は離れて暮らす家族や親戚が戻ってくることもあったと大和さんは話す

祭りでは、男性たちは神輿を大きく揺らしながら集落を練り歩き、庭先などで寸劇を披露していたという。 

大和:祭りのために毎年何週間も前からまちの人たちが総出で準備をしていて、毎晩のように男性たちがお酒を酌み交わしながら祭の段取りを練っていました。またお神輿も毎回壊してしまうので、毎年みんなで新しく作るんです。その過程も相まって、まちの人にとって思い入れの強い、大切な行事でした。震災後も何とか続けていこうと話していたのですが、若い人がほとんどいなくなってしまい、担い手が足りない。そこにコロナ禍も重なったため、今は神輿は出さず、神事のみを執り行っています。

安井さんは、名振浜の防潮堤に描くモチーフについて、当初は港を行き交うカツオ船や漁の風景を考えていた。しかし、住民からおめつきの話を聞いて変更したという。 

安井:ここには元々、地域の有力者のお家があったんです。ここにある3本の松はその家の庭にあったもので、地元の人たちにとっては、この松越しに男たちが荒々しく神輿を担いで通る光景が原風景であると知りました。だったらここには祭りの風景を残すべきだなと。そこで、残されていた神輿のパーツや地域の方々の話、そして写真やDVDを手がかりに、おめつきをテーマにした絵を描き進めました。完成時には地元の人たちから「これが俺か」「あれはうちの息子だ」といった声があがって。改めてこの祭りへの強い愛情を感じましたね。 

「あえて神輿を壊してしまうというのも面白い」と話す安井さん 

海岸線の美術館の作品には、海とともに生きてきたこのまちが、もう一度海の存在を身近に感じられるよう、海や自然をテーマにした作品が多い。しかしそれだけではなく、人口減少やコロナ禍の影響で続けることが難しくなった祭りや地域文化を壁画というかたちで残し、次の世代へと伝えていく役割も担っていた。かつてのまちの息づかいを今の景色の中に重ねてみることができるこの壁画は、まさに、過去と現在をつなぐ存在とも言えるだろう。 

大和さんは作品を見つめながら明るい声で話す。 

大和:私の母親世代の人たちも、「こんな素敵な絵があるんだよ」と、県外に住む友人に海岸線の美術館のことを伝えています。かつてここに住んでいた人が、わざわざ絵を見に戻ることもありますし、作品を目当てに訪れる観光客の姿も見かけます。壁画は、いまではまちの人たちが誇れるものになっていると思います。 

仲間ができたおかげで、前向きにまちと関われるように 

防潮堤の建設、そしてその後に始まった海岸線の美術館のプロジェクト。その両方を初期から見つめてきた大和さんは、当時どのような思いで受け止めていたのだろうか。 

大和:やっぱり毎日防潮堤を目にしていると、圧迫感があるなと思っていました。当時は、防潮堤をつくらない選択をした周辺の自治体もあったので、できたことでどうしてもマイナスに報道されることもあり、住民としてはそれが悲しかった。だからこそ、海岸線の美術館のアイデアはいいなと思いましたし、何よりお二人がとても明るくて。復興支援というよりも、「石巻や雄勝は良い場所ですね」と、まちを好きになってくれているのが伝わってきたのが一番嬉しかったです。 

大和さんは、雄勝に引っ越したばかりのタイミングで被災し、その後出産。しばらくの間は「生活をなんとか立て直すことに必死だった」と振り返る。 

大和さんの息子さんは、いまでは「将来は海岸線の美術館の2代目館長になる」と話すこともあるという 

大和:ようやく時間に少し余裕ができてきた頃、自分たちのことだけでなく、子どもやその先の世代に、まちをどのように残していけるかと考えるようになりました。震災後、住民はかつての4分の1となり、高齢化も進んでいる。動ける人はすでにいくつもの役割をもっているので、なかなか手が足りない。そんなときに、このまちで暮らすわけではなくても、石巻や雄勝を好きになってくれて、「もっと人が来るといいですよね」と一緒に考えてくれる仲間ができたおかげで、前向きにまちのことを考えられるようになりました。 

震災以降このまちに関わってきた二人は、どのような思いで足を運び続け、プロジェクトと向き合ってきたのだろうか。 

安井:一度プロジェクトが仕切り直しになったときは、この先どうしようかと正直迷いました。でも、その時に大和家のみなさんに出会って、朗らかにあたたかく話してくださったことに本当に救われたんです。僕は今、雄勝に関わる絵を毎日葉書に描き、壁画を描いていない時期でも、月に一度は雄勝に足を運ぶようにしています。それらの雄勝の中で生きる時間は、ほかの何にも代えがたい大切な時間。自分にとって雄勝町は生活の一部です。とはいえこの町は、僕にとっては通う場所でも、ここで暮らす人たちにとっては毎日の生活そのもの。だからこそ、もし「壁の絵を消してほしい」と言われたら、すぐに消す覚悟をもっています。自分があの場所に作品を残すことには大きな責任が伴う。だからこそどの作品にも、「自分の身体を丸ごと捧げてしまう」ような覚悟をもって向き合っています。 

安井さんは「LifeDrawings | 今日の練習」と題して、次の壁画制作に向けての練習を日々重ね、作品をオンラインで販売している

高橋:正直なところ、アートで人口を増やすことは難しいですし、僕たちはまちを「つくろう」としているわけではありません。人口が減っていくなかで、100年後のまちに何が残るのかを突き詰めて考えると、僕は“もの”としての美しさが必要になると考えていて。個人的には、雄勝町を含め、日本各地にある文化や美しさがこの先どう残っていくのかに強い関心があります。そういう意味で海岸線の美術館では、今の時代を生きるアーティストが、震災を機に感じたことを住民とともに表現したという記録が残ること自体に、大きな意味があると考えています。 

防潮堤を“負の遺産”から“資産”に変える

2022年以降、海岸線の美術館はクラウドファンディングなどで資金を集め、15点の作品を生み出してきた。初期の作品の多くを手がけた安井さんは、そもそもなぜこのプロジェクトに参加したのだろうか。 

安井:震災当時は高校生で、芸術系の大学への進学を考えていました。被災地の映像を見たとき、「同じ大学を目指していた人がこの中にいたかもしれない」と感じ、つくるという行為の重みを強く意識するようになりました。その後、大学卒業のタイミングがコロナ禍と重なったのですが、当時は巣ごもり需要の影響もあってか、自分も含め、まだ実績のほとんどない若手アーティストの作品が次々と売れていったんです。その状況に対して強い違和感を抱きました。もっと世の中に向き合って、表現しなければいけないと強く思いったんです。 

安井さんはこれまで、彫刻と絵画を一体化させたような、立体的なテクスチャを持つ作品を数多く制作してきた。その手触りを思わせる表現は、海岸線の美術館の作品にも息づいている 

いつか東北に関わりたいと考えていた安井さんは、その後、宮城県南三陸町で植樹活動に参加するなど活動を続けながら、作品制作の機会を待っていたという。 

安井:瓦礫の中を歩いていたとき、足元に一本のノミを見つけました。彫刻を学んできた自分にとって、それは強く印象に残る光景で、東北に呼ばれているような感覚があったんです。その後しばらくして東京で高橋さんに出会い、「いまがその時だ」と思いました。 

高橋:安井さんの話を聞いて僕も、「やるしかない」と感じました。研修で初めて防潮堤を目にしたとき、壁が持つある種の暴力性を強く意識したと同時に、「この壁に絵を描けば、何かが変わるかもしれない」という直感がありました。それ以来、あの巨大な壁にどう向き合えるのか、表現の方法を探し続けた。防潮堤は“負の遺産”と呼ばれることもありますが、クリエイティブの力によって、“正の遺産”、あるいは“資産”へと転じることもできるのではないか。その答えを探すなかで、海岸線の美術館というアイデアにたどり着きました。 

“みんなの”公共空間を、“みんなが”私物化していくことが大事

海岸線の美術館は、今後も年に1〜2点ほど作品を増やし続け、その結果としてまずは100作品を目指し、将来的には世界遺産に登録される夢を描いている。

当初は安井さんが一人で壁画制作を行っていたが、プロジェクトのさらなる発展を目指し、岩村寛人さん、多田恋一朗さん、米澤柊さんら複数のアーティストが新たに参加。新たな作品も次々と生まれている

安井:毎年、地図を片手に「次はどこに壁画を描こうか」と話せること自体、なかなかないことだと思います。勝手な言い方になりますが、この場所を少しずつ「自分のもの」にしていくような感覚に近いのかもしれません。 

その言葉にある「自分のものにしていく」という感覚は、防潮堤という公共の構造物を「私物化」していく発想とも重なる。高橋さんは、公共性についての考えを語る。 

高橋:日本の公共性の感覚とは、「みんなのもの」だからこそ、誰もそこで強く主張せず、結果として関わらないままになってしまうことも少なくありません。しかし、それでは面白いものが生まれる土壌は育たない。僕は、公共性とは、むしろ多くの人が“私物化”することで豊かになっていくものだと思っています。海外では、公共空間を「自分たちのもの」と捉える感覚が強く、広場や公園が自由で多様な使われ方をしています。海岸線の美術館というプロジェクトを通じて、雄勝の防潮堤がこれからどのように“私物化”され、公共空間として育っていくのか。このまちでしかできない表現とともに、探り続けていきたいと思います。 

いまでは、作品の前でコース料理を味わうガストロノミーツアーが開かれたり、海岸線の美術館主催のお祭りが行われ、お笑いや音楽の発表の場が設けられたりと、防潮堤とその前の広場では新たな活動が次々と生まれている。きっかけはいずれも、誰かの「こんなことができないか」という発想や願い。アーティストや住民がそれぞれの立場から、自分なりのかたちでこの場所を「私物化」していく。その積み重ねで、防潮堤と広場の日常は更新され続けているのだ。 

ガストロノミーツアーでは、地域の伝統や歴史、絵画から着想を得て仕立てた料理とともに、この土地が持つ文化や物語を参加者に届けた

安井:これからも面白いものをつくり、目の前の風景に作品を一枚ずつ増やしていきたい。それは、ものづくりをする人間としてごく自然な欲求だと思っています。日本全国、そして海外を見渡しても、これほど巨大な壁画作品が並ぶ光景はほかに見たことがありません。芸術家として、これほど面白いプロジェクトは他にない。だからこそ、この取り組みにすべてを懸けたい。これからも僕の人生を「全ベット」するつもりの姿勢で挑み続けたいと思います。 

取材後記

海岸線の美術館の作品を巡りながら、何度も立ち止まり、話を聞いた今回の取材。そのなかで、雄勝町で暮らす大和さんの「壁画はまちの誇りになっている」という言葉が、ずっと頭に残っている。

正直に言うと、最初はその言葉を聞いて少し驚いた。雄勝の外から来たアーティストが描いた壁画を、迷いなく「誇り」と言えることは、簡単なことではないように思えたからだ。

けれど取材を重ねるうちに見えてきたのは、「アーティスト」という肩書きよりも先に、「高橋さん」「安井さん」という、顔の見える存在としてこの土地にいる姿だった。

雄勝の人たちと日常をともにし、時間を重ねながら作品を生み出している。取材後に、大和さんの家族のお誕生日ディナーへ、安井さんがごく自然に混ざっていった光景からも、その積み重ねの一端を垣間見た気がした。

海岸線の美術館の作品は、壁画という特別な存在でありながら、雄勝の日常風景の一部としてそこにある。

取材中、「アートで復興する」「アートでまちおこしをする」という言葉を耳にすることは一度もなく、その代わりに何度も聞いたのが「風景をつくる」という言葉だった。雄勝の人たちと日常を重ね、関係を紡いでいく。その積み重ねがあるからこそ、作品は風景として溶け込み、大和さんの口から「誇り」という言葉が、無理なく、自然に生まれてくるのだと感じた。

(取材:八木/文:土橋)

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