
■「南島原食堂」は2016年に南島原市のシティプロモーションとしてつくられた食堂で、同市の中でも塔ノ坂(とうのさか※地元の愛称は“とんさか”)集落という人里離れた場所に、廃校となった小学校を活用してつくられた。プロモーションのコンセプトは「おかえりなさいのまち南島原」。食堂は、訪れた人を「おかえりなさい」と出迎え、見送るときには「いってらっしゃい」と送り出す、ふるさとの象徴のような場所になることを目指してつくられた。
■看板メニューは、南島原市の名物であるそうめんを16種類の味で楽しむことができる「おかえりそうめんセット」。雰囲気のある場所でそうめんを楽しみながら、南島原市の観光地について知ることができる観光案内としての役割も担い、2016年10月~2017年3月まで運営された。
■ 2017年4月以降、運営主体が南島原市から、塔ノ坂の住民に移管。中心となったのは、プロモーション時から、運営に携わっていた髙橋さん(現・南島原食堂広報担当)と、調理やホールを手伝っていた地元の「お母さんたち」である。
■ 以降、コロナ禍で一時お休みしていたものの、2025年現在まで地元住民たちによってコンスタントに毎週日曜日の開店が続けられている。南島原食堂を訪れると、今も変わらずお母さんたちが「おかえりなさい」と出迎えてくれる場所である。
取材者コメント (YOMIKO統合クリエイティブセンター 糠塚まりや)
「このまちが好き!」という気持ちを、
誰かへの優しさに変える場所。
2016年に企画担当者として「南島原食堂」の運営に携わっていた頃、私は「お母さんたち」と一緒に皿洗いをしたり、そうめんを茹でたりしていました。そのとき、お母さんの一人が「この食堂に来るのが楽しい、生きがい」とおっしゃっていたことが印象的で、地元の人にそんな風に思ってもらえる仕事ができているなんて、すごく嬉しいなと思ったのを覚えています。
それから何年も経ち、改めて訪れた「南島原食堂」は、のれんこそすっかり陽に灼けていましたが、今も変わらずに、お母さんたちが「おかえりなさい」と出迎えてくれる場所でした。
再訪するまでは、決して大きく儲かってはいないだろうこの食堂を、どうやって塔ノ坂の人たちがずっと運営し続けられているのか疑問に思っていたのですが、そんな資本主義的な理由で運営されているわけではなかったのです。一言でいうと「愛」(!)。それも、なんとしてもここを残すぞ…!というような根性論的な「愛」ではなくて、この場所があるから自分の中の優しい気持ちを開放できる、というようなぽかぽかした気持ちのいい「愛」です。
そう、「南島原食堂」は、自分の中の「このまちってこんなにいいところなの!」という気持ちを、誰かへの優しさに転換して、訪れた人や仲間にお裾分けできる装置になっていたのです。
お母さんたちは塔ノ坂という場所が大好きで、ここを訪れたらどんなに元気のない人でも絶対に元気になれる、だから、元気がない人はみんな来たらいい、とおっしゃっていました。「おかえりなさい」と出迎え、「いってらっしゃい」と送り出す南島原食堂のルールは、「おかえりなさいのまち南島原」というコンセプトを体現するためにつくられたものでしたが、そのルールは、実のところちゃんとお母さんたちの気持ちに合ったものだったのです。
「このまちが好き」という気持ちがシビックプライドなのだとしたら、南島原食堂は、もともとあった地元の人のシビックプライドを、いかんなく表せる場所なのだと思います。地元への愛や誇りを一人の胸の中におさめておくのではなく、誰かを元気にするためのエネルギーに変えられる場所を持つこと。それは、誰かを元気にするだけじゃなくて、「私のまちはやっぱり素敵なところだな」と、元気にした本人も改めて「シビックプライド」を実感できるということなのかもしれません。
「南島原食堂が続くこと」は、実はそんなに大事なことじゃなくて、南島原食堂を通して、地元への愛や誰かを元気にできる嬉しさを感じられること。「シビックプライド」が続いていくには、それが大事なことなんだと思いました。
▼南島原食堂を今も元気に切り盛りしている塔ノ坂のお母さんたち。
▼こののれんをくぐって店内に入っていくと、お母さんたちが「おかえりなさい」と出迎えてくれる。
▼廃校になった小学校の教室を改装した店内。学校だったときは合唱の発表会など地元の人が集まる思い出の場所だったそう。
▼看板メニューの「おかえりそうめんセット」。隣の畑でとれたての野菜を使うこともあるという。