多数のアパレルブランドを手がけるパルグループホールディングスが、地方創生に向けた取り組みとして、奈良県下市町にオープンさせた「KITO FOREST MARKET SHIMOICHI」。前編では、「社会貢献と収益性の両立」を重視した施設づくりのロジックと、KITOが地域に与えた影響を中心に伝えた。今回の後篇では、その取り組みを生んだパルグループの思いや、下市町での活動を通して目指す「社員のシビックプライド」醸成など、組織を軸にKITOプロジェクトを見つめた。
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井上真央(いのうえ・まなか)さんパルグループ経営企画室兼フリーゲート白浜代表カリフォルニア大学ロサンゼルス校卒業後、経営コンサルティング会社に就職。2021年に家業のパルグループホールディングスへ入社し、経営企画室でサステナビリティ視点での新規プロジェクトを多数担当する。KITO FOREST MARKET SHIMOICHIのプロジェクトマネージャー。
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「出る杭は引き抜く」のがパルグループ
下市町のにぎわいづくりを目指してつくられたKITOだが、そもそもどのようなきっかけで、プロジェクトが始まったのだろうか。
井上:もともと、私たちは和歌山県白浜町での農福連携のファームを運営したり、奈良県内で植栽を行ったりと、地域貢献につながる活動を展開してきました。そうした流れの中で、2023年に創業50周年を迎えるにあたって、「いっそう地域に密着し、深く入り込んだ社会貢献活動がしたい」という声が上がるようになっていたんです。
そんな折の2021年末、社内のサステナビリティ委員会で、当時地域連携を担当していた社員から井上さんに連絡が入る。新規プロジェクトの実施場所の候補として下市町を検討しているという内容だ。井上さんに声がかかった背景には、経営企画室でサステナビリティ視点でのプロジェクトを手がけてきたことに加えて、もう一つの理由があった。
井上:下市町は、私の祖父であるパル創業者の出身地なんです。ここでの秋の柿採りは家族の恒例行事で、小さい頃から毎年訪れていましたし、いつか移住したいくらい大好きなまちでした。ある時には、山からまちを見下ろした祖父から、「ここがお前のオリジンや!」なんて言われたこともあって(笑)。ただ、私が見る限りでも、年々活気がなくなっていくことを感じていて、何かまちのためにできることはないのかなと考えていたんです。

そこに偶然は重なる。地域連携担当者から相談を受けてすぐの2022年のお正月、友人とともに下市町を訪れた井上さんは、後にKITOとなるかわいらしい小学校の校舎に目を引かれる。このことをきっかけに、プロジェクトが具体的に動き始めることとなる。
井上:その小学校に何かピンと来て、ネットで調べてみたら、「来年廃校になるので、校舎を利活用してくれる民間事業者を募集しています。応募期限は2022年2月」と出ていて。えっ、来月だ!と思い、猛スピードで企画書の素案をつくって町役場に提出したところ、施設賃借の優先交渉権をいただくことができました。それから、社内の公募制度などを活用してメンバーを募り、本格的にプロジェクト化していったんです。

企業としての強みを施設運営に活かす
住民自身がこの場所を使って暮らしを楽しんでいる。井上さんは、はじめにそう話してくれたが、KITOの運営に関わるパルグループのメンバーもまた同じように、ここでの新しい挑戦を楽しんでおり、その気持ちが重なることでKITOならではの魅力が育まれている。
井上:現在の施設の姿は、「サステナブルな活動をしたい」というベテランのブランドディレクターの手腕が発揮されていますし、ビールの醸造担当者は、もともと自分自身が週末農家をやっていて、地域と食との関係に興味を持っていたこともあり、まちのなかに深く入り込んでくれています。その人たちを含む6人の社員メンバーと、地元採用の約30人のスタッフは、20代から60代まで幅広く、それぞれのライフスタイルの中で感じていることやできること、したいことをKITOで表現してくれているんです。

特産のハーブなどが使われた商品もある。

こうした施設づくりもまた、パルグループのスタンスが反映されたものだという。
井上:私たちパルグループの強みは、「リアル」だということなんです。私たちの手がけるブランドを好まれるお客さまは、同じ趣向を持つ人のリアルな声を参考にして買い物をする傾向が強く、私たち自身もその声を大事にブランドを育てています。KITOも同じように、運営に関わる人たちの「リアル」が詰まっていて、だからこそ多くのお客さまの心に刺さるライフスタイルショップができているのだと思います。一人ひとりの「PASSIONとLOVE」で成り立つ。それが「PAL」なんです。

そもそも、KITOプロジェクトの出発からして、井上さんの下市町に対する「PASSIONとLOVE」が大きく影響していた。そして施設の誕生後、グループ内のブランドとコラボ商品を開発したり、KITOで製造したビールをそれとは別のブランドの展示会で活用したりと、グループ内でのシナジーが徐々に生まれているという。

企業の特色と「フィットする場所」こそ、地域活動の適地
井上さんは、KITOがにぎわう以上に、下市町という地域が活気づくことを重視していた。それと同様に、グループ内においても、単なる「経営企画室の1プロジェクト」で終わらせず、全社的に波及効果が生じることを井上さんは期待する。これまでも、社内のサステナビリティ研修にKITOを活用してきたが、ビジネスと社会貢献を掛け算する考え方を、企業カルチャーとして、より深く根づかせるための施策を構想中だ。
井上:実現したいと考えているのは、交換留学制度のようなシステムです。夏の繁忙期に、別の事業部から人員を派遣してもらうことがあったのですが、KITOで働いた社員たちは皆、「うちの会社に、こんな風に働ける場所があったんなんて」と、やりがいを感じていたんです。そんなに前向きに取り組んでもらえるなら、各事業部やブランドの人たちが、一定期間KITOのスタッフとして働ける制度をつくれば、地方創生とビジネスとのつながりを実感する機会になるのではないかと考えています。
さらに、KITOはアパレル業界固有のキャリア課題を解決するヒントになり得るのだと井上さんは言う。
井上:アパレル業界には、現場で経験や人脈を築いた人が一定の年齢を重ねた時に、その先のキャリアを描きづらいという課題があり、当社グループも決して例外ではありません。でも、KITOならば年齢を重ねたことで得られる視点を、施設づくりに活かすことができる。キャリアに悩む人に、これまでになかった選択肢を提供することができるんです。そうして、自分の経験を活かしてできることを探ってもらうことで、当社グループ以外に活躍の場を見出してもらうのも、その人や世の中にとって良いことだと思っています。実際に、地域に関わるプロジェクトの現場を経験してから、自分で店を立ち上げるなどの新しい道を選んだ人もいて。私は、そういう人たちを勝手に「卒業生」と呼んで、グループ、KITOを巣立ったメンバーたちのことも応援しているんです。
都市部の企業が、会社としてメリットを得ながら、同時に地方創生に取り組むことを考える上で、パルグループの思想や実施プロセスは、参考になりそうなことばかりだった。最後に、地域と深く結びつきながら活動を続けるために大切なことを、あらためて井上さんに尋ねた。
井上:会社とその場所に何らかの縁があるなど、そこでの活動に必然性を感じられるストーリーがあった方が、社員は前向きになりやすいと思います。私たちも、創業者の出身地であるということが、プロジェクトを立ち上げるきっかけになりましたし、社員が下市町に対してシビックプライドを持つことが、グループの愛着につながってほしいと思っています。ただ、縁やゆかりと同じくらいに、自分たちの強みを活かせる場所であることが大事です。その点、木工などのいろいろな文化を生み出してきた下市町の土地柄は、クリエイティビティを特長とするパルグループに、すごくフィットする場所。だからこそ、社内の面白い人たちが、楽しみながらチャレンジできる場になっている。そうした場所とつながり続け、グループの豊富な人材が輝き、地域に刺激を与える施設づくりをしていきたいですね。

こうして、シビックプライドを共通項に、企業と地域の双方向がメリットを得られてこそ、持続的な取り組みにつながるのだろう。
ところで、井上さん自身はKITOプロジェクトを通し、下市町に抱く思いは変わったのだろうか。
井上:期待されているような答えではないかもしれませんが、本当に変化がないんですよ。私個人にとっては、昔から知る祖父のふるさと。そしてずっと変わらず、大好きなまちなんです。

KITOを通じたグループ内のつながりを象徴するようだ。
編集後記
KITOで特に印象に残っているのは、レストランに飾られていたお花。地元スタッフが「庭で育ったから切って持ってきました」と話してくれて、いやいや、もうお花屋さんのクオリティ……!と驚いた。
この時気づいたのは、“レストランという場”にあったからこそ、この花はこんなに輝いて見えたということ。
人も同じだと思う。地域に場所ができると、その場所によって「地域の誰かに役割が生まれる」。前に取材に行った南島原食堂の地元スタッフも、食堂という場所があることで、地域のお母さんとして「このまちが好き、だから来てくれる人にまちのことを伝えたい」と、まっすぐ表現していた。
KITOという場所が、彼女を(いうならば)“レストランのフラワーアーティスト”にしたんだ。
そうやって、場所を通じて“何者かとしての自分”になれることで、「自分がこのまちでできること」が、少しずつ育っていくんじゃないかと思った。
(取材:八木/文:阿部)
