コロナ禍や社会環境の変化を経て、企業のあり方や個人の暮らしが見直される中、これからの時代のキーワードとして注目されている言葉の一つに「ウェルビーイング」がある。心と体の健康、そして社会とのつながりの中で感じる充足――。そんな状態を意味する「ウェルビーイング」は、近年、個人・企業・自治体など、あらゆる分野で関心が高まっている。
一方で、ウェルビーイングについて「関心はあるが、どう活用すればいいのか」「どのように測り、施策に落とし込めばよいのか」と、足踏みしている自治体や企業も少なくない。理念としては共有されつつも、具体的な実践のあり方が模索段階にあるのが現状だ。
今回編集部が訪れたのは、そんなウェルビーイングを全国に先駆けて県政に導入した富山県。2022年にウェルビーイングを成長戦略の中心に据え、独自の指標づくりや可視化を進めながら、様々な施策を展開している。
一見すると抽象的にも見えるウェルビーイングを、富山県はどのように捉え、県政運営に落とし込み、県民に普及させているのか。その問いは、人によって定義や価値観が異なる“シビックプライド”とも通じる部分があるはず。
そんな思いを胸に、シビックプライドに関するリサーチを手がける関紀和が、富山県知事政策局企画室ウェルビーイング推進課を訪ねた。
-
-
佐渡洋伸(さど・ひろのぶ)さん富山県知事政策局企画室ウェルビーイング推進課長富山県庁に入庁後、ロシア連邦沿海地方への派遣、貿易振興、国際観光、中小企業支援、働き方改革などの業務に従事。2020年からは情報政策課で5Gの普及啓発、2021年からはデジタル戦略課でDX推進計画を担当。2022年から創業・ベンチャー課(現:スタートアップ創業支援課)でスタートアップ支援に従事。2025年4月より現職。 -
本吉早百合(もとよし・さゆり)さん富山県知事政策局企画室ウェルビーイング推進課主幹富山県庁に入庁後、職員採用、労働相談窓口、高齢者施設指導監督、職員人事などの業務に従事。2024年11月より現職。 -
堀江知哉(ほりえ・ともや)さん富山県知事政策局企画室ウェルビーイング推進課主任富山県庁に入庁後、富山マラソン開催運営、公共施設や県立大学の入札などの業務に従事。2025年4月より現職。 -
山本香菜子(やまもと・かなこ)さん富山県知事政策局企画室ウェルビーイング推進課主任富山県庁に入庁後、医療人材支援、納税、産業振興、官民連携などの業務に従事。2024年4月より現職。 -
関紀和(せき・のりかず)YOMIKO都市生活研究所 リサーチディレクター読売広告社入社後、R&D、ストラテジックプランニングに関する業務に従事。マーケティング戦略を支援するリサーチソリューション開発にも携わっており、2017年よりCIVIC PRIDE Researchを担当する。
-
人によって受け取り方が異なる「ウェルビーイング」を自治体として扱う難しさ
秋晴れの朝、県都・富山の中心に立つ県庁舎を訪ねた。今年で築90年を迎える富山県庁は、鉄筋コンクリート造の5階建て。重厚な佇まいの中に、長い年月を刻んできた風格が漂う。
その庁舎の一室で、ウェルビーイングに関する調査や施策を担う、知事政策局企画室ウェルビーイング推進課の4名が迎えてくれた。
関:はじめまして。シビックプライドのリサーチを担当している関です。私は2017年から、住民のまちに対する評価を明らかにする「シビックプライド」に関する調査を担当しています。
佐渡:私は今年4月に知事政策局企画室のウェルビーイング推進課に配属され、主にウェルビーイングの普及啓発や調査分析を担当しています。ウェルビーイング推進課は、県庁内の関係部局と連携しながらウェルビーイングを推進するため、2022年に新設された部署です。

関係部局と連携しながら県全体のウェルビーイング推進を担う。
山本:私はここ1年半ほど、ウェルビーイングに関するリサーチや分析に携わっています。ウェルビーイングという言葉は非常に概念的ですし、「幸せ」は人によって感じ方が異なるもの。その中で、県庁職員や県民のみなさんにウェルビーイングの意味や内容を説明し、広めていくことの難しさを痛感しています。
堀江:僕は着任してまだ日が浅いのですが、ウェルビーイングを学ぶなかで、学術的にも非常に奥深い分野だと感じており、日々その理解を広げています。
本吉:同じくウェルビーイング推進課の本吉です。主に、県民のウェルビーイングの現状を可視化するための調査に関わっていて、今後はこうした活動を県内外により広く発信していきたいなと思っています。
関:ウェルビーイングという概念的なものを、富山県ではどう普及し、施策に落とし込んでいるのか、非常に関心を持っています。シビックプライドも、人によってイメージや受け取り方が異なる抽象度が高いテーマです。その意味で、ウェルビーイングとシビックプライドには共通点があるのではないかと感じています。
“幸せ人口1000万人”を目指すために
はじめに伺ったのは、富山県がなぜウェルビーイングを県政に取り入れたのか。今でこそ多くの自治体が関心を寄せているが、そのきっかけは何だったのだろうか。
佐渡:契機となったのは、2021年2月に設置された「富山県成長戦略会議」です。富山県は他の地方都市と同様に人口減少や少子高齢化といった課題を抱えており、ピーク時に約112万人いた人口は100万人まで減少。さらにコロナ禍で経済状況も悪化していました。こうした状況を受け、民間出身の新たな知事が就任したタイミングで、県内外の有識者により、将来のビジョンや戦略について約1年にわたって議論が重ねられ、2022年2月にウェルビーイングを中心に据えた戦略が策定されました。

山本:ウェルビーイングには様々な解釈がありますが、一般的には「身体的・精神的・社会的に満たされた状態」を指し、実感としての幸せを表します。富山県では、県民の“ウェルビーイング実感度”を高められるまちを目指すことで、県に住み続けてもらうだけでなく、県外へ出た人のUターンや新たな移住者・関係人口を呼び込もうとしています。
本吉:県の成長戦略ビジョンでは「幸せ人口1000万」というフレーズを掲げているのですが、ここでいう「人口」とは居住人口ではなく、富山と関わりを持つ「関係人口」のこと。県民のウェルビーイング向上はもちろん、県外の人にも「富山はウェルビーイングを感じられる場所だ」と思っていただき、多様な人々の交流や出入りが増えることが、地域の活性化につながるのかなと。

関係人口1000万人を目指す」ことが掲げられている。
関:今でこそウェルビーイングに注目する自治体は増えていますし、政府も、デジタルの力を使いながら地域の魅力向上を目指す「デジタル田園都市国家構想」の中でウェルビーイングについてふれていますが、富山県はその先駆けと言える存在なのですね。
自分の状態を “花”の形で見える化する
富山県がウェルビーイングを政策の中心に掲げた後、まず取り組んだのが、県民一人ひとりの意識を丁寧に把握することだった。2022年に実施された県民意識調査は、ウェルビーイングに関する実感や課題を明らかにすることを目的に行われ、その後の指標づくりや施策設計の基礎となったという。
佐渡:意識調査の結果を踏まえ、本県独自の「富山県ウェルビーイング指標」を策定しました。その指標をもとに制作したのが、「あなたのウェルビーイング・チェック!」という、自身のウェルビーイングの状態を測定するツールです。県の公式サイトから誰でも利用でき、総合結果を花の形で表現することで、視覚的にわかりやすく示しています。皆さんに親しみを感じていただけるよう、「花」のモチーフにしました。た。

自分のウェルビーイングの状態を視覚的に把握しやすいようにした。
関:私も試してみました。各花びらに異なる色がついていて、ユニークですね。対象地域全体でのウェルビーイングに関する調査結果を、いわゆるレポートやグラフ形式にして公開・公表しているケースは他でもみます。しかし、誰もが”いま”のウェルビーイングの状態を測定でき、このようにビジュアライズしたもので気軽に確認できる仕組みは珍しいですよね。
佐渡:ありがとうございます。設問は「自分らしさの実感」など、主観的な感覚を問う47項目の質問と、年齢や性別といった約10項目の基本情報で構成されています。 ウェルビーイングを普及していくために、まずはウェルビーイングの意味や内容をわかりやすく可視化・数値化し、理解しやすい形で共有できるよう、このツールを作成しました。 これまで約1万人に利用いただいています。
本吉:こうして可視化されると、つい周囲と比較したくなりますよね。でも、ウェルビーイングは誰かと比べるものではなく、自分の状態をどう受け止め、どう向き合うかに意味がある。このツールは、そのきっかけになるものだと考えています。

本吉:そしてさらに大事なのは、現状を把握した“後”に、どのような行動を取るか。そこで富山県では「しあわせのカギ」と題して、「家の周りを散歩する」「週1回、10分だけ体を動かす」など、ウェルビーイングにつながり、かつ日常に取り入れやすい小さなアクションを公式サイトで紹介しているんです。

ウェルビーイングにつながる日常の小さな行動のヒントを紹介している。
関:どれも気軽に実践できるものばかりですね。ウェルビーイングは仰々しいことではなく、いつでも、ほんの些細なことからでも始められるんだ、ということが伝わってきます。
ウェルビーイングのような抽象度の高いテーマでも、ツールによって自分の状態が可視化され、行動のヒントを得られると、「自分ごととして考えよう」という感覚すら通り越して、いつの間に自然と行動が変わるのだなと思いました。朝の占いを見てちょっと気分や行動が変わるような感覚に近いのかもしれません。
県の施策立案に、ウェルビーイングのデータを活かす
可視化によって得られた数値や傾向を、次の行動へどう結びつけるか。富山県では今、ウェルビーイングを軸にした新たな施策立案の仕組みづくりが始まっている。
佐渡:県民向けのウェルビーイング普及活動に加えて、県庁内の啓発活動や職員に向けた取り組みにも力を入れています。その一つが、ウェルビーイングを起点とした施策立案につなげるためのダッシュボード構築です。

山本:これまで役所では各部署が「必要だ」と思う事業を提案し、予算要求後、施策を実行していました。しかし、県民意識調査と照らし合わせると、実は県民はその施策をあまり必要としていなかった、という場合もあって。そこで、ウェルビーイングに関する調査やデータを根拠に、事業を立案する試みが始まりました。
関:なるほど。ウェルビーイングの指標が、県民の現状を測るだけでなく、抱える課題を洗い出すツールとしても活用され始めているのですね。
佐渡:はい。性別や年齢、調査項目などをフィルターで選択し、様々な切り口からデータを分析すると、属性ごとの課題やニーズが見えてきます。そのデータをもとに、ウェルビーイングの向上に向けてどのような施策を打つべきかを考え、事業化につなげていければと。
本吉:今後はより多くの職員に使ってもらえるよう、ツールの改善を進めていきたいなと思っていて。また、客観的な分析データは重要である一方で、各部署が県民と直接接するなかで得られる現場の生の声もしっかりと取り入れ、定量・定性の両面から施策を立案する。そのバランスが大切だと考えています。
ウェルビーイングとシビックプライドの共通点
関:お話を伺っていて、ウェルビーイングは「こうである」という決まった答えがないからこそ、時に戸惑いながらも自問や対話を重ね、調査や分析したデータを「現場でどう生かせるか」を常に試行錯誤されているように感じました。 そして、そのウェルビーイングという概念を“行動”という目に見えるかたちに移すために、皆さんの専門部署が、県庁内の関係部局と連携しながら取り組みを進めているのですね。

「まちをより良い場所にするために関わっているという意識を伴う、
ある種の当事者意識に基づく自負心」と説明する、都市生活研究所リサーチディレクターの関。
本吉:ありがとうございます。ウェルビーイングは「耳に心地よい言葉」ではあるものの、具体的に何かと聞かれると、人によって定義や受け止め方が異なりますよね。そのような状態で、県民にどうすれば自分ごととして捉えてもらえるのか。正直なところ、私たちも模索していて・・・。
関:その点はシビックプライドも同じです。リサーチをしていると、概念として「大事である」と考えている自治体は多い一方、そこから具体的な施策に落とし込めていないという課題を目にすることがあって。だからこそ、ウェルビーイングのデータをダッシュボード上で分析し、それを根拠にした施策立案を目指すというのは、概念を具体に落とし込むための大きなヒントだと感じました。
山本:おっしゃるように、調査と分析を継続することで、少しずつ明らかになってきた傾向もあります。たとえばシビックプライドに関していうと、富山県では若者の地域に対する愛着が、他の年代と比べて低いという結果が明らかになりました。そこで施策の一つとして実施したのが、「ロゲイニング」というイベントです。数名でチームを組み、決められた範囲のチェックポイントを回ってミッションをこなして得点を競うもので、特に「エール・ロゲイニング」はすごく印象的で。卒業を控えた学生がまちを歩き回り、「楽しかった」と話したり、感極まって涙を流したりしていて。その姿を見て、私もつい嬉しくなりました。

まちを巡りながら富山の魅力を感じてもらうことを目的に開催された
エール・ロゲイニングには、約100名が参加した。
佐渡:高校生は富山の良さを知らないまま、進学や就職で県外に出てしまうことが多いので、こうした体験がいずれ「また戻ってきたい」と思うきっかけになれば良いですよね。参加学生に対し、ロゲイニングを通じての実感をアンケートで調査したところ、心身の健康や富山への愛着など、ウェルビーイングに関連する項目の向上が見られたんです。
関:実際にまちを歩き、知ることで、富山の魅力を改めて発見したり、ミッション達成に向けてチームの仲間と協力することで、地域や友人とのつながりを感じられる。まさに、シビックプライド、そしてウェルビーイングの双方に通じる取り組みですね。
“見える化”の先へ
最後に、試行錯誤を重ねながらも、ようやく数値として見え始めたウェルビーイングを今後どのように県政へ各施策に活かしていくのか、展望を語ってくれた。
佐渡:これまでお話ししてきたように、正直なところ、ウェルビーイングの普及やデータ活用には、まだまだ多くの課題があります。だからこそ今後は、見えてきた数字や指標をより幅広く活かしていきたい。たとえば、ダッシュボードを使いやすく整備し、市町村での活用を促すほか、企業にも積極的に利用してもらえたらなと考えています。また、大企業は自前でエンゲージメント調査などを行うことが多い一方で、中小企業ではそこまで手が回らない場合も少なくありません。こうした企業もウェルビーイングの向上に取り組みやすいよう、「ウェルビーイング・チェック」の普及を進めたいと思っています。
本吉:もちろん、一個人に行政が関われる範囲には限りがあるので、私たちの取り組みだけでウェルビーイングのすべての項目を高めることはできません。ただ、行政だからこそできることもある。そこをしっかりと考えたいですね。
堀江:「幸せ人口1000万人」という目標に向けては、人と人とのつながりをどう育んでいけるかが重要です。その視点を大切にしながら、ウェルビーイングの普及活動を進めていければと思います。
山本:個人的には、ウェルビーイングは押しつけがましくなってはいけないのかなと。自分の中から自然に芽生え、意識してもらうきっかけや後押しとなるような施策にしたいです。
関:ウェルビーイングという概念が、少しずつ指標や数字として見えるようになっているからこそ、新たな議論がスタートしているのですね。その過程や姿勢が、シビックプライドについて考えるうえでも大きなヒントになりました。
編集後記
ウェルビーイングとシビックプライドには、どこか通じる部分があるのではないか。そんな予感をもとに臨んだ今回の取材。当初は「富山県がどのように県民のウェルビーイングを高めようとしているのか」を探るつもりでしたが、実際にお話を伺うと、印象は大きく変わりました。ウェルビーイングという概念的なテーマを、まずは指標や数字として可視化したうえで、それを高めることを急ぐのではなく、「目の前の数字をどのように活用していくべきか」を思索されている最中だったのです。
数値は一度“見える化”されると、往々にして「数値を上げること」自体が目的化しがちです。しかし、ウェルビーイングとは、単なる数値目標ではなく、その定義から考え、対話を重ね、時間をかけて向き合っていくもの。お話しをしてくださったみなさんが、その姿勢を何よりも大切にされていたのが心に残りました。
今回伺ったお話は、シビックプライドの研究においても、分析することで見えるようになった数値や指標と、その扱い方のバランスを再考する大きなヒントになります。数字が見えてきたからといってすぐに結論を出すのではなく、常に対話や思索を重ね、ウェルビーイングの捉え方やその“形”自体も柔軟に変えていく姿勢をもつ。そして何より、県民の“幸せ”を起点とした富山県のまちづくりの施策が、これからどのようにまちの姿を変え、人の暮らしを変えていくのか。私たちも継続的に追いかけ、そこから共に学んでいきたいと思います。
(取材:関/文:土橋)
