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TOPTALK & INTERVIEW自治体発のプロモーション、どうバトンを繋げていく?〈前篇〉

2025.09.30

自治体発のプロモーション、どうバトンを繋げていく?〈前篇〉

市から市民へバトンを繋いだ南島原食堂が続いている理由
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自治体が取り組む地域活性化施策の課題としてよくあげられるのは、「継続性」だ。予算や人員の都合もあり、多くの場合、長くて1-2年単位で終わってしまう。そんな中、立ち上げから約7年経った現在も続いている活動がある。それが「南島原食堂」。長崎県南島原市の観光誘致プロモーションとして南島原市の塔ノ坂(とうのさか)集落にオープンした観光スポットだ。長年続いている運営のカギを握っているのは、市からそのバトンを引き継いだ市民の存在。
今回この場所の立ち上げに携わっていたプロジェクトメンバーの一人である糠塚(読売広告社)とともに、南島原食堂(記事はこちら)を運営している髙橋さん、集落の“お母さん”たち(吉田さん、長橋さん)に会い、市からバトンを受け取り市民自らの手で運営を進める原動力、また7年以上続けてこられた理由についてうかがった。

    • 髙橋 和毅(たかはし かずき)さん
      15年前に福岡県から南島原食堂がある塔ノ坂集落に移住。食堂のお母ちゃん達の笑い声と笑顔、集落の魅力を県内外からのお客様に繋ぐ受付・広報担当。
    • 吉田 元子(よしだ もとこ)さん
      南島原食堂で働く“お母さん”の一人。オープニングスタッフとして立ち上げから7年、今も変わらず笑顔でお客さんを迎えている。
    • 長橋 ちづ江(ながはし ちづえ)さん
      南島原食堂で働く“お母さん”の一人。接客や調理を担当し、明るい人柄と気さくなおしゃべりでお客さんに元気を届けている。

地域で食堂を続けていきますか?髙橋さんが受け取った、“市からのバトン”

南島原市の観光誘致プロモーションの一環として2016年にオープンした「南島原食堂」。立ち上げから7年経った現在、運営母体を「南島原市」から食堂がある「塔ノ坂集落」に移し、営業を続けている。オープン当時の食堂の様子について教えてくれたのは、オープニングスタッフであり現在も食堂で働いている“お母さん”の吉田さんだ。(この食堂で働く地元のスタッフを、親しみを込めて“お母さん”と呼んでいる)

吉田:最初のうちは、市役所の皆さんと一緒に調理や接客を担当していました。みんな初心者だったから、めちゃくちゃ段取りが難しくて、台所はお客さんの数よりスタッフの数が多かったとですよ(笑)。でも、市のプロモーションでテレビの取材が入った後は、1日に100人以上のお客さんが来てくれる時もあって。多くの人が食べに来てくれてうれしかったですね。

吉田さん

食堂の看板メニューは市の特産品である「島原手延そうめん」をアレンジした「おかえりなさいそうめんセット」。お盆に綺麗に並んだ16種類のそうめんはオリジナルレシピで、使用する食材、出汁、盛り付けのすべてを吉田さんはじめ、集落のお母さんたちが担当している。

おかえりなさいそうめんセット

当初、南島原食堂のプロモーション期間は2016年10月から3月までの半年間とされていた。そんな中、市から「今後もこの地域で続けていきますか?」と相談を受けたのが、プロモーション開始当初から市役所職員やお母さんたちと一緒に運営に携わっている髙橋さんだ。

髙橋:市からの相談にはものすごく悩みました。半年間一緒に営業してきてお客さんの反応を直接見ていたので、もちろんこのまま自分たちで続けたいという気持ちはありましたが、同時に自分だけでは判断できないと思いました。市が離れても続けていくとなると、業務の幅や量も増えますし、今まではプロモーションの力も借りていたので、その力がなくなった後の収益のことも頭に浮かびました。続けた場合どうなるのか、正直わからないという状態でしたね。

髙橋さん

そんな髙橋さんの背中を押したのが、吉田さんと同じく南島原食堂で調理・接客を担当している長橋さんだ。

長橋:「この地域でやってみないか」という市からの話が出てきたくらいから、髙橋さんが迷っていたり、困っていたりする様子を近所で見ていて、「よし、私が行きます!私を使いなさい!」って言って、食堂のスタッフとして仲間に入ったんです(笑)。

長橋さん

長橋さんの力強く温かい言葉や、食堂で働く地元のお母さんたちの協力により、塔ノ坂で食堂を継続することを決めた髙橋さん。「南島原食堂の主役はお母さんたちで、僕はここの黒子なんです」と、現在は南島原食堂の広報として、食堂とお母さんたちを支えている。

髙橋:市から運営を引き継いだ直後はしばらくお客さんが来ていましたが、市のプロモーションが終了した後はお客さんの数が大きく減りました。集客のためにInstagramに食堂の様子を投稿するなどの対応はしていますが、私もこの食堂以外に他の仕事をしているので、手が回りにくいのが正直なところです。1日に30人ほどお客さんがいらっしゃれば、なんとか赤字にならない程度ですね。だから、正直言って食堂としてうまくいっているとは言えないかもしれませんが、この場所、この空間、この賑わいをどうにか守っていきたい……!という思いで続けてきました。

この食堂を「経営」として成立させるには、まだ乗り越えなければならない課題は多くある。それでも、髙橋さんがこの食堂を守り、運営を続けるのには塔ノ坂に移住してきた時のある出来事が理由だった。

食堂を通して地域に恩返ししたい

髙橋:僕は15年ほど前に福岡からこの集落に移り住んできました。当時は自然豊かなところでの自給自足や山の中でひっそり暮らすようなスローライフに憧れを持っていて。今思い出すと自分でも作り話かと思ってしまうのですが、車を運転している時に綺麗な自然に誘われて、気づいたらハンドルを切ってフラーっとここに入ってきちゃったんです。元々そういう直感で動くタイプだったのですが、集落に入ると子どもたちが手を振ってくれて、村を案内してくれて。ちょうど春先で梅の花が咲いていて、この集落が桃源郷のようでした。

そう穏やかに話す髙橋さんの姿からは全く想像できないが、塔ノ坂に移り住んだ当時、いろんなチャレンジをしては周囲の人に迷惑をかけてしまっていたと当時を振り返る。

髙橋:残りの人生をこの自然の中で楽しく過ごせたらいいなと思っていたので、移住当時はやりたいことばかりでした。地域イベントや農業に夢中になりすぎて、少し独りよがりに物事を進めてしまい、その時は本当に周りに迷惑をかけてしまいました……。でも突拍子もないことをやる自分に対して、地元のお父さん、お母さんたちは離れるどころか、この集落の仲間として向き合い、受け入れてくださったんです。だからおこがましいかもしれないですが、南島原食堂を通して、塔ノ坂に恩返ししていきたいと思っています。

髙橋さんにとって南島原食堂は、自分を導いてくれた塔ノ坂の自然や、心を開いて迎えてくれた地元の人々の優しさにお返しする場になっている。髙橋さんと吉田さん、長橋さんがまるで親子のようにお互いを頼り合い、支え合っている姿は長年食堂を通して積み重ねてきた信頼の証だろう。

“音”が消えた地域に、食堂で再びにぎやかさを取り戻す

一方、吉田さん、長橋さん、そして地元の人にとって、この場所は「食堂」になる前から大切な場だった。南島原食堂は、もともと長野小学校塔ノ坂分校で、集落唯一の小学校として地域に愛されていた場所である。廃校になった当時の地域の様子を、吉田さんが語ってくれた。

吉田:ここが廃校になったとき、本当に“しーーーん”ってしとっとですよ。今までは子どもの声もピアノの音も聞こえていたのに、学校がなくなって、うんとも、すんとも言わなくなって。それまでは気づかなかったけど、音がなくなるってこがん寂しいんだって。

小学校を感じさせる黒板、机と椅子

長橋:私たちはよそからお嫁に来ましたけど、うちの旦那とか子どもとか、孫なんかは最後の卒業生だったりしてね。それにこの学校で発表会があると地元の人がたくさんここに集まっていました。廃校になっても今は食堂がありますけど、もしこの場がなくなったらどうなってしまうか……地元で人と会う機会もなくなってしまいますね。

地元で一番賑やかだった学校がなくなるということ。それは、もしかすると大切な地元の未来が急に見えなくなってしまう、そんな感覚だったのかもしれない。学校が食堂として生まれ変わった今、地元の人が話をしに来たり、農作業の合間に涼みに来たり、再び地元の人が気軽に顔を出せる場として機能している。

食堂から地域を、人を元気づけることが、シビックプライドを育てていく

吉田:私はもうこの「とんさか(※塔ノ坂の愛称)」が大好きで、大大大好きなんでね。山に囲まれて自然も豊かで、地元の人も良いから、ここに来たら誰でも100%元気になって帰ってもらえる自信があるんです。

吉田:例えば、特別なことは何にもないけど、人と話すだけで元気になることってあるでしょ。ここを毎週開けているけど、熊本、福岡、佐賀とか県外から来てくれる人が多くてね、しゅん……っと疲れている人には、この景色を見て、ここで食べて、とんさかの人と話して元気になってほしい。誰でもほんとに来てほしかです。それに、ちづ江さん(長橋さん)はいつも面白い話でお客さんを楽しませているんですよ(笑)。

長橋:お客様によって話す内容は変えていますけど、お客様もやっぱり人生のお話をしたいときがあるんです。そういうときに一緒になって、「私も若いときはこうでした」とか、同い年くらいの人には「まだまだ私も頑張りますから~」とお互いに勇気づけ合ったりね。

「とんさかが好き!」というお母さんたちの思いが接客や料理に乗ってここを訪れる人を元気づけていく。二人の話を聞いて、南島原食堂が続いている原動力は、お母さんたちの塔ノ坂への愛や、かつて地域を元気づけてくれていた学校への思いもありながら、「自分たちがここに訪れた人を元気にできた」という実感も大きいのでは、と感じた。その実感が、自信となり、この場所で働くプライドになっていく。
シビックプライドとは、「まちをより良い場所にするために関わっている自負心」のことだが、まさにこの食堂は、シビックプライドを生み出すための場になっていると感じた。

長橋:この村を離れて外に行かれた人が「私たちここを卒業したとよ~」と食べに戻ってきてくれたり、そういう交流もうれしいですよ。

自分たちが好きな場所が、ここに来た人を元気にする場所になり、ここで元気になった人やこの地域を離れた人が、また帰ってくる場所にもなっている。南島原食堂のコンセプトである「おかえりなさいのまち南島原」をまさに体現する循環がこの食堂では生まれている。

〈後編〉では、この食堂のきっかけとなった南島原市の観光誘致プロモーションを担当した、南島原市の荒木さん、そして南島原食堂を企画担当した読売広告社の糠塚が登場。プロモーション当時の作り手の思いや、現在も続いている南島原食堂について、思いを伺った。

(取材・文 八木)

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