神戸市垂水(たるみ)区の塩屋で、まちを「面白がる」取り組みを次々に仕掛けている、シオヤプロジェクト(以下、シオプロ)の主宰・森本アリさん。
〈前篇〉では、シオプロが立ち上がっていくまでの経緯を中心に、住民の地域に対する意識がポジティブに変わっていった様子を聞いた。続く〈後篇〉では、森本さんらプロジェクトメンバーが大事にしている、「そこにあるもの」を再発見するという考え方をより深く知るため、シオプロの主催するまち歩きイベントにも同行。森本さんとともに地域を巡り、話を伺っていく中でキーワードとして浮かんできたのは、まちを「いじる」という視点だ。
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森本アリ(もりもと あり)さん旧グッゲンハイム邸管理人。「三田村管打団?」「音遊びの会」などで活躍する音楽家でもあり、ワークショップや音楽祭のディレクターなども務める。「シオヤプロジェクト」(シオプロ)主宰。シオプロを通じて塩屋という小さな町を文化的に遊ぶ=写真集、カルタ、アートブック、まちあるき、歩き回り音楽会、リサーチ、アーカイブ、地図、トーク、マルシェ…一般的には「まちづくり」「まちおこし」と呼ばれることをやってるみたい。嫌いな言葉は「まちづくり」「まちおこし」。著書に『旧グッゲンハイム邸物語』がある。
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何気ない街角にしみ出した、「生活感」を味わいながら歩く
シオプロがこれまでに展開してきた幅広い活動に共通するのは、「レディメイド(=そこにあるもの)」の面白さを見つけ、言葉や写真、絵など、目に見える形にして、まちの内外の人々と共有していくということ。「シオヤプロジェクト」を名乗り始めた初期、2015年から重点的に行っていた「地図プロジェクト」は、そんな考え方を象徴するような取り組みだ。

森本:まちは歩くことで、初めて知ることができる。そう考えて、まち歩きイベントを開催したことから発展して、塩屋の魅力を伝える地図をつくるプロジェクトを立ち上げたんです。その中で行った活動の一つが、地元在住で活動する版画家の方と組んで、塩屋全体のマップをつくるというもの。そのためにシオプロメンバーが集まり、30分程度で回れてしまうようなエリアを5時間くらいかけて歩き倒すということを、ほぼ隔月で2年近く続けました。これがもう、面白くて仕方なかったんです。
普段自分たちが生活する地域の中でも、「何丁目」レベルの狭いエリア内を5時間も歩いて回る。そこで森本さんたちは、どんなことに面白さを見出していたのだろうか。
森本:僕が好きなのは、まちの中の生活感なんです。たとえば、民家の庭と道路の間のグレーゾーンみたいなところに、家主がつくった造形物とか植栽があったりする。僕たちはそれを「あふれだし」と呼んだりするんですけれど、そういうのは大好物ですね。新興住宅地の場合は、「あふれだし」が生じないように区画が整備されているし、生活感がにじむほどの経年もないですから、あまり面白くない。行き止まりに突き当たっては引き返して、みたいなことも多々あっての5時間のまち歩きでしたけど、塩屋の「恵まれた悪条件」ゆえにいろいろな景色が見られました。今は、そうやって地域文化を感じていくまちの巡り方が、「生活観光」として割と一般的になってきていますね。
7時間かけて発見を繰り返す「まち探訪」
森本さんたちは、塩屋を歩き尽くすと、周辺のエリアへと越境しだす。そして、まち歩きの楽しさを広く共有しようと、2018年から「勝手にまち探訪」をスタートした。特定のまちを、なんと毎回7時間もかけて巡るイベントで、ガイド役はシオプロの活動の中でつながりを持った、各地域のエキスパートが務める。
森本:実は、版画家の方と組んだ地図づくりもシオプロメンバーだけに限らず、広く参加を募っていたんですが、それにはほとんど人が来なかった(笑)。でも不思議なことに、「まち探訪」は、内容がニッチになるほど参加者が増えていったんですよ。
今回の取材では、灘(なだ)区を舞台とした、68回目の「まち探訪」に同行させてもらった。平日開催のため参加者は中高年層がメインで、市内から訪れたリピーターが多くを占める。地域に暮らすガイドからしか得られない、まちについてのマニアックな情報を求めている人のほか、顔なじみとなった参加者同士のふれあいを楽しみにしている人も多い。昼食休憩をとる山でお米を炊いて皆に振舞おうと、飯盒(はんごう)とお米を担いできた人までいた。また、初参加した人からは、「まち探訪に前から参加したかったんです」「ガイド役を務める人のファンだから」といった声が多く聞かれ、中には坂が大好きだという地元の高校生や、大阪から足を延ばして参加した大学生の姿もあった。
灘区の「まち探訪」では、寺社仏閣などの文化財や、斜面に張りつくような階段、小学校に公園に社宅団地などを巡り、ガイドがその一つひとつに説明を加えていく。文化財をもとに地元の歴史を語るだけではなく、「小学校の敷地内にトンネルがあるのは、坂のある地域ならでは」ということをはじめ、もともとの地形や阪神淡路震災からの復旧、現在のまちづくりの動きなど、目の前の景観には様々な背景があることを解説してくれる。そのほかにも、道中では「この通りからは有名タレントが2人も輩出されているんですよ」と豆知識が伝えられたり、ガイドが知り合いのいる店に立ち寄る場面もあったりと、いわゆる「名所めぐり」にはない、様々な発見が得られる。たしかにとてもニッチな内容だ。

森本:ガイドにもいろんなタイプがいるんですよ。知識の権化のような人もいますが、中にはほとんど説明はしないけれど素晴らしいルートを組んでくれる人もいて、その人の回ではリピーターの参加者が各自の専門知識を披露してくれる。そもそも、ガイドから一方通行の説明を聞くのではなく、参加者全員でコミュニケーションをとりながら、新しい発見をしていくイベントですから、それで皆が十分満足するんです。そこが一般的なまち案内とは違うところで、参加者の方からは「このイベントは発明ですね!」と言っていただいたこともあります。
何気ないけれど、そこにしかない。「面白さ」をキャッチするシオプロ的視点
他者の視点を知ることで、まちを面白がれるようになる。その森本さんの考えは、シオプロの活動初期から、現在の「まち探訪」まで一貫している。
森本:僕自身、「まち探訪」ではいろんなことを参加者に教えてもらいます。河川に詳しい人と歩くと、水の流れという視点でまちを見ることができるし、ロケ地マニアや城跡マニアの話からは、また違った角度からの楽しみ方を学びました。中にはエアコンの室外機マニアという人もいて、「ファンの位置が右にあるのは『右目』といって、とても珍しいんです」なんて言うんですが、僕的にそれは全然、興味がない(笑)。でも、そういう視点を知った上でまち歩きをすると、「あそこ、『右目』がありますよ!」って参加者同士が盛り上がるんです。やっぱり、いろいろな人の見方に触れるほどに、まちの面白がり方も広がるんですよね。
一人ひとりまちの見方が違う中で、森本さんらシオプロのメンバーたちはどんな風にまち歩きをしているのだろう。様子を観察していると、ほかの参加者が通り過ぎていくようなところでたびたび足を止めるのが分かった。
たとえば、森本さんは文化財として紹介された味噌蔵を遠巻きに眺めて、「かまぼこみたい」とポツリ。そう言ってカメラを向けた先を見てみると、建物の上部が丸みを帯びていて、たしかに板付きかまぼこに似ている。森本さんらはほかにも、公園の樹木の支え木が、歩行者スペースまで伸びていることに盛り上がったり、瓦店の門柱に置かれた兵庫県のご当地キャラ「はばタン」の瓦製造形物を見て、「そこまで思い入れがない県民もいる『はばタン』が、こんなに立派な姿に!」と注目したり……。
とても独特だが、その場所にしかない、何気ないものを慈しんでいるようだった。

「いじる」ことで、不便もポジティブに変換する
「シオプロは、そのまちの変わったところや特徴を『いじる』のが基本スタンス」と、森本さんは言う。まちにツッコミを入れながら、不便さや不具合すらポジティブに変換していく。「まち探訪」の様子もほかの活動も、たしかにそんなアプローチだ。
森本:シオプロでは、まちの風景を切り取った「レディメイド・シオヤ」という写真集を出しているのですが、そこに載せている写真も「いじる」視点ですね。たとえば、民家の玄関につながる階段を写した写真があるのですが、その階段は住民が手づくりしたもので、なんとも言えず柔らかな質感を持っているんです。

全国各地で行われる再開発は利便性を高めるが、同時に「いじる」余白とも言える、まちの個性を損なう結果も招きかねない。
森本:もちろん、新しい建物がコミュニティに良い影響を及ぼすケースだってたくさんあります。でも、まちの姿は一度変えてしまうと取り戻せないのに、世の中の開発のスピードは速すぎるというのが、僕の正直な気持ちです。塩屋に根づいていた営みに、世の中の方が後になってロハス的な価値を見出したようなことは、これからいろいろな地域で起きるはず。だからこそ、放っておけば開発の波に飲まれてしまいそうな古いまちを見ると、「間に合ってくれ」と願ってしまうんです。
「愛」で地域を語ると、話がそこで終わってしまう
今回のインタビューを通して気づいたのは、「地域愛」などの、まちについて語る時に使われがちな言葉を、森本さんが慎重に避けながら話しているということだ。
森本:そうですね。僕たちは「愛」「好き」でまちを語らないようにしています。だって、「私の地域がナンバーワンです」「うちのまちが大好きです」と言われたら、「そうなんですね」としか返せないじゃないですか。
不便さや変なところも含めて、そのまちの個性。だからこそ、ポジティブなようで観念的な言葉で表現するだけでは、地域の魅力が覆い隠されてしまう危険性があるということだろう。その考え方は、まちを「いじる」というスタンスにも通じる。
森本:たとえば、僕たちが制作した「シオヤワンダーランド」という塩屋の公式プロモーション動画も、美辞麗句を並べることはしていません。まちの人たちに、「坂道がえらいキツイ」「道が狭い」というネガティブに聞こえることを素直に言ってもらいながら、「それでも面白い」「だから生き生き暮らしている」ということに着地するようにしています。実際に、斜面地に暮らすおばあちゃんは、日ごろ坂道を歩いているからとんでもなく元気だったりしますからね。どうしたってバリアフリーにはならなくて、「バリア“アリー”」なまちなんだったら、皆で一緒に「いじる」ことで、面白さを見つけていった方がいいと思うんです。
同じような理由で、森本さんは「シビックプライド」という言葉も、自ら進んで発することはない。
森本:とはいっても、僕たち自身の決まりごととして、それらの言葉を使わないようにしているだけ。シビックプライドや地域愛というものに資する活動をしてきたのは事実ですし、人にそうやって評されるのも構いません。どのような言葉でくくられたとしても、塩屋のことが外に発信されるのは、嬉しいことだと思っています。

何もつくらず、「まちのこし」をしていく
もう一つ、森本さんは「まちづくり」という言葉も、自分たちの活動を表現する際に使うことはなかった。
森本:それは、ちょっとおこがましいかなという思いがあって。僕たちは、まちをつくったりなんかしていない。どちらかというと、「まちのこし」とか「まちなおし」みたいなことばっかりやっている集団ですから。なので、よく聞かれる「これからのまちをどうしていきたいのか」という質問も、ちょっと答えにくいんですよね。
なるようになればいい。そう塩屋の今後を語る森本さんだが、「ただ」と言葉を継ぎ、まちを残していくことへの強い思いをのぞかせる。
森本:まちの中で古いものがなくなりそうなら、残す手立てはとっていきたい。地域活動を18年間やってきて、あらためて大切に思っているのは、「何もつくらない」ことです。そこにあるものを、どうやって切り取って見せるのか。空き家活用をはじめ、古いハコをいかに再利用して、使い倒し、ソフトを成熟させていくのか。それをもっと突き詰めて、そして面白がりながら考えていきたいですね。
編集後記
他者の視点を学ぶほどに、まちを面白がれるようになる。
今回の取材で、実際に7時間のまち歩きに参加し、身をもってそれを実感した。一人で歩いていたら、ただ通り過ぎるような何気ない場所でも、森本さんたちと一緒にいると、驚いたり、笑ったり、不思議に思ったりという感情の動きがある。いつの間にか、参加者たちと一緒に、「これは良い坂道だ!」と写真を撮るようになり、あれやこれやと景色を見ながら話すうちに、すぐに時間が過ぎていった。
もう一つ印象的だったのは、まち歩きの間も、その後の帰り道も、森本さんはまちの中で何人もの知り合いと出合い、談笑していたこと。その表情から、仲間たちがいる地域での生活を心底楽しんでいることが伝わってきた。そして、森本さんがシオプロを何の団体なのかと定義していないことも理解できる気がした。メンバーたちは、シンプルに一人の住民としてまちを面白がっている。そこで自分たちを何者かだなんて規定する必要はないし、だからこそ彼らのß活動は自由なのだろう。
(取材:黒田/文:阿部)