川崎のにおいを探索した前回、コラムを読んだ社内の先輩に「全部食べ物のにおいだね(笑)」と感想をもらった。あれ?言われてみると全部食べ物だ。
川崎駅のにおい探索を振り返ると、まちを歩いているときは「あ、このにおいはあの時の…!」とビビビッと記憶に結びつく感覚が楽しくて“食べ物のにおい”という認識をあまりしていなかった。そもそもまちのにおいを構成する要素はひとつではなくて、人、植物、お店、車…きっと他にも気づけていないにおいが入り混じっているはず。においを感じているけど、まだ言葉にできていないものはないだろうか(むむむ……鼻が敏感なはずなのに1つのにおいしか見つけられないことが、ちょっと悔しくなってきた)。
そんなわけでもう一度、今度はもっともっと地元で、家の周辺を歩いてみることにした。
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八木 日花里CIVIC PRIDE ポータル編集部シビックプライドポータル編集部として企画・編集・取材執筆を担当。鼻が敏感なことをきっかけに香りに興味を持ち、昨年アロマテラピーの資格を取得。最近はフレグランスのにおいを嗅いで、成分表示で香りの答え合わせをするのにハマっている。(たまにしか正解しない)
最後の晩餐は「お味噌汁」と決めているくらいにお味噌汁が好き。
地元のにおいは、隠れていたまちを見せてくれる
前回と同じように「においメモ」を取りながら、毎日通勤で歩いている家から駅までの道のりを歩いてみた。
通勤時の朝と夜(行き・帰り)。晴れの日のにおいを探索してみると…
- 整備された後のアスファルトのにおい(新品のにおい)
- 行き交う車のオイルのにおい
- どこかで工事をしているのか砂のにおい
- 道の生い茂る草が日を浴びて、じわっと青々としたにおい
並べてみるとどこにでもありそうなにおいだけど、2つのことに気づいた。
気づき①朝と夜でにおいは変わるし、においの柔らかさも違った
朝は、思っていたよりまちのにおいがしないと思った。上に挙げたにおいがほとんどで、くんくんしてもにおいが届いてこないような。手前で止まる感じがした。なぜだろうと思っていたけど、夜に同じ道を歩いている時にあることに気づいた。
夜は空気が柔らかくて、鼻にすんなり通る気がする。そうか。朝はにおいがしないんじゃなくて、空気が硬くてにおいとして身体に染み込んでこないんだ。夜のまちは全体が水のように澄んでいて、時々しっとりした青々しい草のにおいがする。雨が降りそうな空でその影響を受けているのかもしれないけど、私にとっては夏が近づいていることを感じるにおい。そして朝や日中に比べると空気が柔らかくて、すーっと鼻を通る感じ。水も硬水、軟水で喉の通りが違うように、鼻を抜ける空気が軽くて澄んでいる。朝よりも夜の方が、一日の終わりで身体がリラックスして、その分呼吸を深くする余裕があるからかな。
この道に何か特別なものがあるわけでもないし、思わず深呼吸したくなる森林があるわけでもないけど、夜のにおいに気づいてから、この道を通ると「あ、私の脱力スポット」っと頭の中でつぶやいている。夜にだけ顔を出す地元のプチスポット。誰かに話すほどのものではないかもしれないけど、自分だけが語れるまちの“かけら”を見つけた感覚だった。
気づき②毎日通る道なのに、においを辿ったらまちで隠れていたものを見つけた
家の周辺を歩いていると、正直川崎駅よりもにおいを感じにくかった。無臭というか、特徴がないような。あれ?においに敏感な方だと思っていたのにおかしいな…と調べてみると、どうやら嗅覚は順応するよう。生物学的には“新たな匂いから危険を察知する”ために、身の回りの安全な匂いに順応していくらしい。だから地元は特に(安心できる場所として)無臭に感じるのかもしれない。
とはいえ、少しでもにおいがする方に歩いていくと、いつもほぼ同じ時間に通る道なのに、公園で太極拳をする人を初めて見かけたり、ただの草むらだと思っていた道にびわの木があることを知ったり、最寄り駅の前に大きな木があることに気づいた(木のてっぺんまで見たのは初めてな気がした)。駅の真ん前に大きな木があるのに、しっかり認識していなかったなんて、どれだけ私は地元に無関心だったのだろう。地元を歩きながら「もっと緑が増えたらいいのにな」と思っていたのに、木を見ずに歩いていたなんてもったいないことをしていた。
においを入り口にまちでの気づきを積み重ねていく
駅前の木の存在に気づいてから、少し殺風景(率直に言うと何もない)と思っていた最寄り駅が、私にとってはなんだかいい雰囲気をまとっている場所になった。都内の忙しい景色と違って、ふぅっと一息ついていい、自分に余白を作ってくれるような場所。周りに駅ビルはないし、ちょっと古びた商店街しかないのに、不思議とそれもいいかと思えてくる(そろそろカフェは欲しいけど)。
川崎駅よりもっと地元を歩いてみたら、においと結びつく思い出のほかに自分の言葉で語れる“まちのお気に入りポイント”が見つかった。コラムを書いている今日も出勤時に駅前の木を見て「お、やっぱりこの木いいな」とそう思っただけなのに、地元のお気に入りに気づけた自分が嬉しかった。これまで自分の地元の話になると、繁華街や利便性しか話題にできないと思っていたけど、大きい小さい関係なく、こういった発見が積み重なって、もっと自分のまちのことを話せるようになるのかもしれない。
(文:八木)