谷口台小学校の子どもたちが、「相模原市民のシビックプライドを上げる」というテーマの授業で「花火を打ち上げる」というアイデアを思い付いた。理由は「花火は多くの市民の目にとまり、同じ体験を分かちあえるから」。そこまでは、ふむふむ、とうなずける。でも子どもたちは、そのアイデアを企画にし、実現するために多くの大人たちを説得して、最終的に、本当に花火を打ち上げたのだ。その行動力にまず驚かされた。
他にも、相模原市で有名な「レトロ自販機」(昭和40~50年代に活躍した、うどんやそばを中心とした食品を自動で調理する販売機)のオーナーに交渉し、自分たちで(試食までして!)選んだ相模原市の名産品をその自販機で売るなど、とても実践的な活動をしている。
子どもたちは、どんな想いで、これらのアイデアを実現させていったのだろう。数多くあったはずの実現までのハードルを、どう乗り越えていったのだろう。谷口台小学校の校内研究推進委員長の田部先生にお話をうかがった。
※文中敬称略
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田部泰道(たなべ やすみち)さん相模原市立谷口台小学校総括教諭自然の中にたくさん連れて行ってくれた小学校時代の先生に憧れ、2002年より相模原市内の小学校で教員になる。谷口台小は「生活科・総合的な学習の時間」の校内研究を始めて5年目となり、2023年度は全国大会・神奈川大会の授業公開校となった。谷口台小での勤務は8年目となる。大分県出身。
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「シビックプライドを上げたい」というより「もっと相模原のことを知ってほしい」
まず最初に、総合的な学習の時間のテーマとして「シビックプライド」があがった経緯について田部先生に聞くと、学校からそういうテーマを出したわけではなく、子どもたちと議論していく中で自然に出てきた、という答えが返ってきた。
田部:例えば相模原市にはJAXAのキャンパスがあるんですが、子どもたちがまちでインタビュー調査をすると、それがほとんど知られてなかったんです。他にも、子どもたちが相模原の魅力だと思っていることが意外と知られていないことに気づいて、「もっと自分たちのまちを知ってもらいたい」という気持ちがどんどん強まった結果、シビックプライドというテーマとつながっていったのだと思います。
相模原市は、過去に、シビックプライドランキング調査での順位が低かった時期がある。そのことは、学習する上で、子どもたちに影響を与えたのだろうか。
田部:学習の出発点としては、やっぱり「ランキングを上げたい」という気持ちは子どもたちの中にあったと思います。でも、授業を続けていくうちに、ランキングという言葉は出なくなってきました。ランキングにフォーカスするよりも、自分たち自身で考えたまちのよさを伝えていくことで徐々に広がっていくのが、自分たちらしいシビックプライドの高め方ではないか、という考え方に変化していきましたね。
「自分たちも知らなかったまちの魅力」に気づくのが、学びの第一歩だった
自分たち自身が考えた、自分たちのまちのよさを伝えていく。よく“自分ごと化”という言葉でさらっと表現されてしまうが、それは決して簡単なことではないはずだ。子どもたちの考え方が、そう変化したプロセスとはどういうものだったのだろうか。
田部:最初のころは、子どもたち自身も、「相模原といえば?」と聞かれると、まずは観光名所や名産品を思い浮かべようとして、「そういうものって、あまりないよね」と言っていました。でも、まちを探索したり、まちの人にインタビューしていく中で、子どもたち自身でまちの魅力を再発見していったんです。
それは決して特別なものではなくて、車椅子やベビーカーの人も通りやすいように歩道が広くなっていることや、点字ブロックが図書館までつながっていること、地域で長年愛されているお店があること、相模原のことを大切に思っている人がたくさんいること、といった、普段見過ごしてしまいがちな身の回りのことでした。それらが実はとっても素敵なことだと気づいたのが、学びの大きな一歩だったんです。
ある地域のことを思い浮かべようとすると、つい代表的な観光地や名産品、多くの人が集まるイベントなど「すでに人に評価されているもの」を思い浮かべようとしてしまう人は多い。
でも、谷口台小学校の子どもたちは、まち探索を通じて「自分たち視点で見た相模原の魅力」に気づいた。その学びは、私たち大人にとっても大切なことだと思う。
花火はあくまで結果、そのプロセスが大事だった
そんな子どもたちが、自分たちでイチから企画した「シビックプライド花火」を実際に打ち上げた。そう聞くと、「花火を上げた」という成果ばかりがフォーカスされがちだが、本当に大事なのは打ち上げまでのプロセスと、花火を打ち上げた後、だったという。
田部:アイデアだけならいいのですが、実際に打ち上げるとなると、色んなことをしなくちゃいけないんです。お金をどうするかもそうですし、場所の確保、安全面のチェックなど、やることはたくさんある。実現のためにはたくさんの大人を動かさないといけないし、動かすには、説得するための資料をつくったり、そのプレゼンも自分たちでしないといけない。遊びではなく、本気で向き合う必要があったんです。
そのプロセスを想像するだけで、様々な困難がありそうなことは容易にわかる。子どもたちは、それをどうやって乗り越えていったのだろうか。
田部:提案しても、当然一発OKにはならないんですよね。自分たちが提案した資料に対して、相手から「ここが足りない」「あそこが違う」と戻ってくる。子どもたち自身、こういう体験はあまりないことなので、難しかったと思います。でも、例えば話すのが得意な子、資料をつくるのが得意な子、などと、それぞれの得意分野を活かしながら、資料をブラッシュアップして、何回も提案していましたね。そうやって、考えに考えて、本気で取り組んだからこそ、花火を打ち上げただけでは終わらなかったんです。
子どもたちは、花火を打ち上げたこと自体はもちろんうれしかったが、そのうれしさはあくまで自分たちが感じたことで、参加した人がどう思ったのか、シビックプライドにどんな影響があったのかを知ることが重要だと考えた。そして翌年の授業では、花火を打ち上げた効果について学習したいと自分たちから提案してきたそうだ。それは子どもたち自身が主体的に、シビックプライドについて学ぶ姿勢になったということだろう。
シビックプライドは「上げていくもの」ではなく、「自分の中で上がっていくもの」
そのような子どもたちの変化を目の当たりにしてきた田部先生が考える「シビックプライド」とは、どういうものなのか。ストレートに聞いてみた。
田部:子どもたちと学習して気づいたのは、シビックプライドは「上げていくもの」ではなく、「自分たちの中で上がっていくもの」ということです。自分たちの中で上がってくれば、自然とそのまちの魅力を語り始める。その「誰かに語りたくなる気持ち」がシビックプライドなのでは、と思います。
子どもたちもよく、自分が見つけた相模原の好きなところについて、家族や、他の学年の子どもたちに、うれしそうに語っています。その姿を色んな人が見ることで、ゆっくりと、シビックプライドが広がっていくのだと思います。
そういう、特別じゃなくても自分にとって大切な、つい語りたくなることを、例えて言うと「シビックプライド集め」のような感覚で、ひとつ、ふたつと集めていくことが大事なんだと思います。
シビックプライドをテーマにした授業をすることで、たくさんの学びを得た、谷口台小学校の子どもたちと先生たち。最後に、これから同じように、シビックプライドについて子どもたちに教えたいと考えている全国の先生たちに、伝えたいことはないかと聞いてみた。
田部:住んでいる地域を色んな角度から見たときに、「こんなよさがあったのか」「こんな素敵な場面があるんだ」と再発見する感覚は、教室の隣の席に座っている子のことが、だんだんわかっていくのと同じ感覚なんだと思います。いつもそばにいるその子に、「こんなよさがあったんだ」「こんな魅力を持ってるんだ」と気づくことが、その子を理解し、好きになることにつながっていく。
ある片側からだけ見るのではなく、その子について、様々な角度から色々な見方をすることで、その子と自分がつながっていく感覚が生まれる。まちとのつながりをつくることも、そういう捉え方をしてみるといいのではないでしょうか。
編集後記
インタビュー後に田部先生が、「お見せしたいものがあります」と隣の教室に案内してくれた。そこには、これまでのシビックプライド学習の内容をまとめた模造紙の束が展示されていた。
「これは、その年ごとのシビックプライド学習のテーマを、いわば“お品書き”のようにまとめたものです。毎年ゼロから考えるのは、子どもたちには負担だろうな、と思ったので、この中からテーマを選べるようにしたのですが」と、田部先生は説明しながら“お品書き”をめくっていく。
すると、年を追うごとに、お品書きのメニューがどんどん増えていくのがわかる。
「やっぱり前の年と同じものはやりたがらないんですよ、子どもたちは。だから、毎年こんなに増えていってるんです」とうれしそうに笑う田部先生。
これはまさに、インタビューで語られていた「シビックプライド集め」だなと思った。そしてこのお品書きの数は、これからも増え続けて、ゆっくりと、でもしっかりと、相模原のシビックプライドは広がっていくのだろう。
追記:文中では便宜的に「子どもたち」「私たち大人」という表現を使ったが、何だかもうそんなの関係なくて、それぞれが個人として、フラットに関係しあうことが大事なんだろうなと改めて感じた。
(取材・文:山下)