私の地元である神奈川県川崎市の「まちのにおい」が気になって調べ始めた前回。インターネットやSNSでは、まちのにおいの情報はほとんど話題になっていなくて驚いた。旅行帰りや、まちを歩いているときに私が感じていた「落ち着くにおい」の正体は何だろう・・・。
よし。くんくん、まちを嗅いで、私が思う「川崎のにおい」を探しに行こう。
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八木 日花里CIVIC PRIDE ポータル編集部シビックプライドポータル編集部として企画・編集・取材執筆を担当。鼻が敏感なことをきっかけに香りに興味を持ち、昨年アロマテラピーの資格を取得。最近はフレグランスのにおいを嗅いで、成分表示で香りの答え合わせをするのにハマっている。(たまにしか正解しない)
最後の晩餐は「お味噌汁」と決めているくらいにお味噌汁が好き。
私が落ち着く「川崎のにおい」って?
川崎駅(半径800m、徒歩10分ほどの距離)には、商業施設が10店舗ほどある。いつもは買い物を目的に渡り歩く場所で、今日はにおいを探す。まさか川崎を嗅ぎに来るなんて(笑)と面白くなりながら、マスクを外して、くんくん、嗅ぎ(歩き)まわると3つのにおいに出会った。
▼私が出会った「川崎のにおい」
①駅で感じるいろんな要素が混ざった香ばしいにおい:地上にも駅地下にも多数の飲食店が並んでいるからか、何か炒められているようなお腹が空く調理のにおい、駅のロータリーを行き交うバス・送迎車のぬる温かい煙を感じるにおい、ロータリーにある樹木のにおい、それらが混ざってか、なんだか香ばしい(笑)。「いいにおい!!!」ってわけでもないけど、それが逆に外行きモードにならなくてよくて、気を張ることもなく、ここで私は生活しているんだなと身体がほぐれる気分。
②おじいちゃん、おばあちゃんを思い出すクレープ生地の甘いにおい:商業施設が多い分、飲食店が多い川崎。中華やイタリアン、どのまちでも嗅いだことのあるにおいだけど、中でも「このにおいって私にとって特別だったんだな」と気づいたにおいがあった。それは地下通路にあるクレープ屋さんの生地が焼ける甘いにおい。他のまちでもクレープのにおいに出会うのに、あの甘いにおいをやや薄暗い地下通路で嗅ぐと「いつもと同じ」と、どこかホッとする自分がいる。なんでここのにおいだけが特別なんだろう…と考えながら周りを歩いてみると、いつもおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に買い物に行っていた家電屋さんに続くエスカレーターを見つけた。そうか、一緒にクレープを食べた記憶じゃなくて、ここが家電屋さんの帰り道だったことを思い出した。もう15年以上前の記憶だし、その時も(今も)何気なく通っていただけなのに、このにおいが「ここは変わらずあの帰り道だよ」と教えてくれているようだ。
③子どもながらに“大人の場所に来たぞ!”とココロ躍らせたにおい:川崎駅からちょっと歩いた商業施設では映画館のポップコーンのにおいや、ライブ会場の華やかさと緊張感が合わさったエネルギッシュなにおいがする(今は改修で変わってしまったけど、前に芝生のフットサルコートがあったときの芝生のにおいも懐かしい)。特に、映画館の裏路地に繋がる通路を歩くときだけ強く感じるキャラメルポップコーンのにおいが、幼い頃の母との映画デートを思い出す。どの映画館でもポップコーンのにおいを感じるけど、この通路を歩くときにぶわっとにおいがして、「あ~、昔はここがココロ躍る特別な場所だったな~」と一瞬で童心に戻れた気がしてうれしくなった。
香りと記憶、まちのにおいとまちとの思い出
まちを歩きながら川崎のにおいを嗅ぐと、においとともに幼い頃の私と川崎の思い出が次々に溢れ出てくることに気がついた。においから昔の記憶を思い出すことは、誰もが経験したことがあるかもしれない。「あ!このにおい嗅いだことあるぞ!」となにかセンサーが働く感じ。アロマの勉強で学んだことだが、そもそも嗅覚は五感の中でも脳と密接な関係があると言われている。嗅覚情報は鼻から入り、嗅神経を通り、嗅覚情報が処理されたあと、脳の中の記憶をつかさどる海馬(かいば)と呼ばれる脳の領域に送られる。だから香りと記憶の結びつきは強いらしい(ちなみに、特定の香りによって過去の出来事や感情を思い出す現象は「プルースト効果」と言われている)。
まちを嗅いだら、薄れていたまちとのつながりが見えてきた
それにしても、川崎にはずっと住んでいるはずなのに、どうして幼い頃の記憶ばかり思い出すのだろう…。川崎を歩きながらそう感じていたが、幼い頃はこの川崎という地元が、私の世界のすべてだったんだな、と気づいた。今の私にとって川崎はどこかへ行くための通過点だったり、気を張らずにふらーっと歩く場所だったり、生活に馴染みすぎていたからこそ、川崎での出来事が見えづらくなっていたのかもしれない。今回においを切り口に「あ、私はここで育ってきたんだな」「まちとの関係がずっと続いていたんだな」と地元とのつながりを見つめ直せた気がする。
よく「私のまちは何もない」と話す人がいる場所もあるが、住む中で自分と全く繋がりのないまちはないはず。においは人それぞれ気づくものや、心地よいと感じるものが違うからこそ、においを切り口にまちを歩いてみると、その人にしか気づけない新たなまちの一面に出会うことができるかもしれない。そんなことを考えはじめたら、次は他の人にもまちのにおいについて聞いてみたくなった。
(文:八木)