サブカルチャーの拠点としてのムードと、個人商店や住宅街が醸す生活感が同居したまち、東京都世田谷区下北沢。近年は小田急線の線路の地下化に伴う開発が進み、まちに新鮮な活気が加わっている。
今回取材したのは、一連の開発の中で設けられた緑を管理する団体、一般社団法人シモキタ園藝部。誰でも参加できるオープンな組織として運営され、下北沢周辺住民や地域外から参加する人など約300人の部員がいる。活動は日常的な植栽管理にとどまらず、堆肥製造や飲食事業、養蜂事業などにも広がっている。いずれも部員の発案から生まれた取り組みだ。
開発後のまちづくりにおいて、「市民主体のコミュニティ形成」が掲げられることは多いが、必ずしも継続的な活動に結びつくものばかりではないのが事実。そうした中で、園藝部はどのようにして「市民主体」を実践してきたのか。園藝部の設立時共同代表理事である三島さん、現共同代表理事の金子さん、理事の前田さん、遠藤さんの4人にお話を伺った。
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三島由樹(みしま・よしき)さん設立時共同代表理事/ランドスケープデザイナー1979年生まれ、東京都八王子市出身。慶應義塾大学環境情報学部、ハーバード大学大学院でランドスケープデザインを学び、東京大学大学院で助教を務めた後、2015年に設計事務所であるフォルクを立ち上げる。下北線路街におけるランドスケープデザインのコンセプトづくりを担った後、シモキタ園藝部の企画を立ち上げ、設立時共同代表理事として組織運営に当たってきた。現在、理事を務める。 -
金子賢三(かねこ・けんぞう)さん共同代表理事/建築士1964年、東京都世田谷出身。早稲田大学を卒業し、設計事務所に入所した後、1996年に地元の下北沢で建築事務所を設立。下北沢の道路計画の反対運動を経て、下北線路街のまちづくりに関わるようになり、園藝部の理事に就く。現在、共同代表理事。 -
前田道雄(まえだ・みちお)さん理事/建築家1970年生まれ、神奈川県藤沢市出身。明治大学工学部、明治大学大学院修士課程修了後、1996年に建築・都市デザインスタジオへ入所し、現在は代表。下北線路街のまちづくりに向けた、住民や専門家の意見の取りまとめ・計画提案に携わった後、園藝部の理事に就任。 -
遠藤千穂(えんどう・ちほ)さん理事/アクセサリーアーティスト神奈川県横浜市出身。お茶の水大学ライフサイエンス専攻卒業後、製薬会社に入社。2013年に独自の「咲き編み」アクセサリーを扱うショップを開店し、2019年に株式会社を設立。移り住んだ下北沢で園藝部に出会い、現在は植栽管理でエリアのサブリーダーを担う。
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緑の変化に合わせて、日々手を加える楽しみ
9月の午後、下北沢駅の南西口を出て、街路をまっすぐに歩く。東北沢駅と下北沢駅、世田谷代田駅の地下化に伴い、1.7キロの跡地に整備された「下北線路街」だ。
古くから続く飲食店や商店、地元住民が暮らす住宅、個性的な古着屋やライブハウスなどが小路に混在した個性的なまち。そんな下北沢のイメージとは異なる、親しみやすくも新鮮な雰囲気にあふれた通りだ。
3分ほど歩くと見えてきたのが、シモキタ園藝部の管理する「シモキタのはら広場」。大人の膝ほどもある草や、さまざまな種類の木々が集まった空間はワイルドな存在感を放っている。遠巻きに眺めただけでは分からないが、よく見ると、とても手入れが行き届いていた。
そこで編集部を出迎えてくれた、一般社団法人シモキタ園藝部の設立時共同代表理事(現理事)でランドスケープデザイナーの三島由樹さんが、こののはら広場を案内してくれた。
三島:植栽管理というと、一度つくったものを仕様書に沿って維持していくのが普通です。その場合、やることは明確ですが、植栽の状態を見て必要のない対応でも、仕様書通りにやらなければならなかったり、逆にやった方が良いことが出てきても、記載がなければ手を加えることができません。それに対して私たちの場合は、状況に応じて工夫しながら形を変え続けていく「順応型管理」という方針をとっています。管理上、やらなくていいことはやらないし、逆に誰に言われるわけでなくとも、やった方がいいと思ったことはやる。そうすることで、部員が日常的に手を加える楽しみが生まれますし、結果としてきめ細やかなメンテナンスも可能になるんです。

実際に、この日も数人の部員が草刈りなどの作業に汗を流していた。その手つきは、とても慣れたものに見えた。
三島:私たちシモキタ園藝部の部員は植栽管理についてはアマチュアがほとんどなので、プロほどきれいに見た目を整えられるわけではありません。でも、順応型管理という考え方のもと、それぞれが思いを持って手入れをしている。そこに、独特の「良い感じ」が生まれるんです。特に、こののはら広場は、植物を見るだけではなく「使って楽しむ場」として運営していますので、部員一人ひとりの創意工夫が詰まっていますね。
のはら広場を歩いてみると、部員たちの「創意工夫」は各所に発見できた。たとえば食用の葉や実をつける「有用植物」を多く植え、それらをイベントなどで活用することを通し、緑と関わる楽しさや学びが得られるようになっている。また、ハーブが植えられた圃場(ほじょう)のほか、雨水を循環させる機構を備えたビオトープや、剪定で切り落とされた枝葉や地域の飲食店の廃棄物で堆肥をつくるコンポストまである。これらは、すべて部員たちの意見から生まれたもの。発案したメンバーらが自ら汗を流してつくり上げ、運営しているのだという。これらの自由な取り組みも、ルールにとらわれない順応型管理の延長線上にあると言えそうだ。
三島:種をまいて、育てて、土に還す。住民は、そうした循環に寄り添って、緑からの恵みを活かしきる。地域の誰もが当たり前に緑に触れ、その中で人と人とがつながり合うという、里山のようなライフスタイルを都会の真ん中で実践するのが、園藝部のチャレンジです。それを通して、「緑と人が関わり合う街の新しい園藝文化をつくる」ことを、私たちは目指しています。

議論を呼んだシモキタの開発問題
のはら広場を案内していただいた後、その向かい側にある施設へと移動。「こや」と名付けられたこの施設は、休憩場所やワークショップの会場、緑にまつわる書籍を集めた図書館などの役割を兼ねた、部員や活動の参加者らの交流拠点だ。

そこへ、現在共同代表理事を務める金子賢三さんと理事の前田道雄さん、遠藤千穂さんも合流し、シモキタ園藝部が発足した経緯から話を伺った。
園藝部の設立は2021年だが、そこに至るまでには、下北沢の再開発を巡る、20年以上にわたる議論の積み重ねがあったのだという。その過去を当事者としてよく知る一人が、生まれも育ちも下北沢だという建築士の金子さんだ。
金子: 線路の地下化を東京都が決定したのは、2000年代はじめごろでした。地下化そのものは、「開かずの踏切」問題を解決するために、住民が長らく要望してきたことだったのですが、それに合わせて、戦後から休眠状態だった大型道路の整備計画が復活したんです。そんな道路が走っては下北沢らしさが失われてしまうのではないかと住民間に反発が広がり、私も道路計画に反対する団体を立ち上げました。そうした中で世田谷区は、道路計画の推進よりも、線路地下化後の跡地利用の検討を優先する方針へと転換し、市民との対話の場を積極的に設けるようになったんです。そこで私も、反対運動から身を引き、跡地利用のあり方について意見していくことにしました。

区の方針の転換があったのは2011年、世田谷区長が現在の保坂展人氏に交代したことがきっかけのひとつだったという。この時期に開発の議論に関わり始めたのが、同じく建築士である前田さんだ。
前田:私が参加していたのは、グリーンライン下北沢というNPO法人で、私の建築の先生と言える方が団体を主宰していたことから活動に加わりました。その団体では、線路跡地を緑でいっぱいのオープンな空間にしようという提案を行っていました。

線路の地下化工事が完了した翌年の2014年から、区は「北沢デザイン会議」という、市民との意見交換会を開催。なんと200回以上にのぼる意見交換を重ね、区と小田急電鉄、住民との間で開発後のまちづくりに向けた合意が進んでいった。
2016年には区の設置した「北沢PR会議」内に「シモキタ緑部会」が発足。グリーンライン下北沢の提案などを踏まえ、線路跡地に緑を活用したコミュニティ空間を設ける方針が固まっていった。その上で、具体的なコンセプト立案やランドスケープデザインを任されたのが、設立時共同代表理事の三島さんだった。
三島:地域の人たちと一緒に場づくりをするという、私のランドスケープデザインのアプローチが、線路街の方針に合うのではないかということで、まちづくり会社から声がかかったんです。そこで、「現代の雑木林をまちのど真ん中につくる」というコンセプトを提案したところ、小田急電鉄さんから「まさに私たちが求めていたアイデア。ただ単に緑の空間をつくるだけでなく、市民主体でまちづくりが発展していくような場所にしたかったんです」とおっしゃっていただいて。2019年から小さなイベントやワークショップを少しずつ重ねながら、現在のシモキタ園藝部に至る構想をつくっていきました。そうした中でシモキタ緑部会とつながり、金子さんや前田さんとも知り合うことができたんです。
「親戚」のような部員のつながり
設立当初の園藝部は、20人ほどのメンバーだったそう。しかし、現在は約300人を数えるまでの規模となっており、どのようにして、これほどまでに部員を増やすことができたのかと疑問が湧く。
三島: 2022年に、のはら広場とこやができたことが、部員が増えた大きなきっかけかもしれません。自分たちが楽しめることを第一に、急に部員を増やす努力はしなかったのですが、日常的に部員が活動する場ができたことで、その姿を見た人が「なんだろう」と興味を持つようになったんです。
この時期に部員となったのが、下北沢でアクセサリーアーティストとして活動する遠藤千穂さんだ。
遠藤:当時は、自分の人間関係が仕事の中だけで完結しているような感覚があって。何か地域活動をやってみたいと思っていた時に、園藝部のことを知ったんです。すると、ちょうど「シモキタ園藝学校」という植栽管理の養成講座をスタートさせるということだったので、「これだ」と思って参加しました。造園家のメンバーが講師になった年間プログラムなのですが、「普通の植栽管理は、人にとって邪魔にならないように切る発想だけれど、園藝部は緑も人の生活も活きるようにする」という考え方がおもしろくて、活動にもどんどん積極的に関わるようになっていきました。


それから遠藤さんは、6エリアのうち一か所の植栽管理のサブリーダーとして活動。園藝部は、植栽管理の素人がほとんどだが、こうしてプロからの教えを共有しながら、まちの営みと緑が共生する管理を実践しているのだと話す。
遠藤:夏場なんかは、朝5時に集まって水やりをしたり。普通の仕事だったら考えられないですけれど、皆が自主的にやるんですよね。それに、部員たちと交流できるのがすごく楽しみで。老若男女、本当にいろいろな人がいて、自分が知らないことをたくさん知っているし、気兼ねなく話すことができて、まるでたくさんの親戚ができたみたいです。
多様な意見を尊重する「ワーカーズコープ」型の組織形態
園藝部の活動の土台は植栽管理だが、取り組みはそのほかにも多岐にわたる。たとえば、植物に関する本の読書会などを開く「図書委員」や、養蜂事業、ハーブやはちみつなどを使ったメニューを扱うカフェ「ちゃや」の営業、育てきれなくなった植木を引き取り、次の持ち主へとつなぐ「古樹屋(ふるぎや)」など。生き物観察や植物を使った小物づくりや料理など、活動と関連したワークショップも頻繁に開催している。
前田:これらの事業は、組織づくりの段階から、部員たちのやりたいことを取り入れながら広げていったんです。あまりに幅広いのですが、そのすべては「循環」と「多様性」というキーワードで括ることができます。常にアイデアは募集していて、会議で話し合って決めるものもあれば、小さな取り組みの場合は話し合う前にすぐに実行しようということもありますね。
遠藤:たとえばこの前、子どもたちが水鉄砲で遊びながら、のはら広場の水やりをするという「スーパー水やりタイム」がありました。そういう発想がどんどん飛び出てくるのが、すごく楽しいですね。
三島:園藝部は、プロの業者や行政によるサービスを享受する場ではなく、まちに必要なことや楽しさを自分たちでつくり出して、それを分かち合う場。人それぞれ活動のモチベーションは違いますが、やりたいことを形にできるのが、部員になる一番のメリットかもしれません。
こうした組織をつくる上で、園藝部が考え方のベースとしたのが、「ワーカーズコープ(労働者協同組合)」という組織形態。あまり聞きなじみのない言葉だが、メンバー皆が共同で出資し、経営し、事業を決めるというもので、公共的なサービスで採用されることの多い考え方。養蜂やカフェといったスモールビジネスは、この組織形態のもとでこそ、形にすることができたのだという。そして、こうした自由度の高い活動を支える収入の基盤となっているのが、メイン事業である植栽管理の受託料だ。
前田:植栽管理は区の発注事業で、小田急電鉄を介して園藝部が受託する形をとっています。そこで大切にしているのが、植栽管理はボランティアではなく仕事として責任を果たすこと。理事と社員には東京都の最低賃金程度の報酬が発生しますし、部員やワークショップなどに参加する人たちに対しても、私たちが運営するショップで使えるクーポンを渡すなど、無報酬にはならないようにしています。

「支援型開発」のもと、楽しさが循環していくコミュニティ活動
部員たちの自主性を担保する小田急電鉄との連携体制は、住民間で何度も重ねられた意見交換の中で生まれた「支援型開発」という考え方に基づくのだという。
三島:支援型開発は、開発を通じて住民に何かを享受してもらうのではなく、そのまちで暮らす人たちがやりたいことをサポートするという、小田急電鉄さんが線路街のまちづくりで掲げたコンセプトです。その考えがあるからこそ、行政的な考え方の植栽管理や、通常のランドスケープの維持とは異なる「順応型管理」も可能になっているんです。

開発事業者の後押しのもとで、活発な取り組みを進める園藝部は、市民主体のまちづくりの好事例として国内外からの視察が相次ぐなど、大きな注目を集めている。
ここに至るまで、もっとも大切にしてきた考え方は、「こうあるべき」「こうするべき」といった、園藝部全員が共有する価値観を定めすぎないことだという。
三島:たとえば、のはら広場に植える樹種に関して、在来種にするか外来種にするかという話がありました。そこで皆で勉強会を開き、議論を重ねた結果、「答えは出ないテーマだから、どちらかだけに決めず、現場から学びを得ていくことが大事」というフラットな着地点になったんです。結果として、一つの価値観を定めないからこそ、いろいろな考え方や知識のあるなしに関わらず多くの人が参加できるようになりましたし、何か問題が起きても自然と解決に向かえる組織になったのだと思っています。
その時々の状況に「順応」しながら、前進していく。そうして設立から5年目を迎えたシモキタ園藝部の今後の展望について尋ねると、皆さんから返ってきたのは「特別な目標はなく、『楽しむ』ことを大事に継続していきたい」という気負いのない答えだった。一人のリーダーの意向で動くのではなく、全員の多様な価値観のもとで進んでいく組織だからこその回答だ。
金子:楽しさが「生活に根付いている」ことが継続のために大切なことだと思います。もともと、下北沢というまちは、ビジネス主体ではなくて、生活を楽しみたい人が集まる場所。私たちの活動も、その一部でありたいですね。
三島:課題と言えるのは、そんな活動がこれから先も続けられる組織体制を確立することです。一人ひとりの意見を尊重するワーカーズコープ的な体制を維持しながら、組織運営を属人化しすぎず、ある部分ではシステム化しなければいけない。難しいことですが、部員が増えた今、しっかりと向き合うべき課題だと考えています。
園藝部が大切にする「多様性」と「循環」。それは、緑の営みを指すだけではなく、組織としてのあり方も象徴している。人々の多様な価値観が尊重される集団であるからこそ、問題が生じても柔軟に対応できるしなやかな強さを持ち、それが次々と新しい取り組みを生むことにつながっている。部員たちが持つ「楽しむ」という思いは、これからももっとまちへの愛着として花開いていくはずだ。

編集後記
のはら広場で60代の部員が、地面から生えた草を結っているのを見かけた。話を聞けば、子どもたちが遊びに来た際、花を踏んでしまわないように、草で柵をつくっているのだという。そう語る表情はとても優しく、草を扱う手つきからは慈しみを感じた。
「自分で手をかけると、まちの緑地が自分の庭だと思える」。インタビューに答えてくれた一人の金子さんは、このように話してくれた。まちのなかに、自分の場所だと思える空間があることは、シビックプライドの醸成において、とても重要なことだ。
一方で、「ここの緑は、あの人が管理してくれているんだな、と思える」と遠藤さん。部員全員が集まってのイベントをするようなことはないそうだが、緑を介して地域の人々がつながっている感覚を持てているのだという。
緑を育てることには終わりがない。これからもゆるやかに、しかし緑を通じて確かにつながり合いながら、人々の関係性とまちへの思いは深まっていくのだろう。
(取材:西村・祖父江/文:阿部)
