自治体が取り組む地域活性化施策の課題としてよくあげられるのは、「継続性」だ。予算や人員の都合もあり、多くの場合、長くて1-2年単位で終わってしまう。そんな中、立ち上げから約7年経った現在も続いている活動がある。それが「南島原食堂」。長崎県南島原市の観光誘致プロモーションとして南島原市の塔ノ坂(とうのさか)集落にオープンした観光スポットだ。長年続いている運営のカギを握っているのは、市からそのバトンを引き継いだ市民の存在。今回は南島原食堂の立ち上げを担当した南島原市職員の荒木さん、企画を担当した読売広告社の糠塚が登場。7年経った現在も続く南島原食堂について作り手側の思いを伺った。
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荒木 智(あらき さとし)さん教育委員会事務局生涯学習課副参事南島原市出身。県外の大学を卒業後2005年に深江町役場(現南島原市役所)に入庁。秘書広報課時に南島原食堂をはじめとするシティプロモーション事業を担当。趣味は釣り。最近では仕事の一環で人生初のSUPを体験するなど、南島原の魅力を満喫しながら生活している。
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糠塚 まりや(ぬかつか まりや)株式会社読売広告社 マーケットデザインユニット ブランドアクティベーションセンター 第2アクティベーションルームブランドと生活者を「ストーリー」でつなぐプランニングを心がけているコミュニケーションディレクター。
自治体に関わる案件が多く、地方のシビックプライドを一緒に育てる仕事はライフワークだと考えている。
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7年ぶりに訪れた変わらない食堂
今回7年ぶりに南島原食堂を訪れた糠塚は、今も変わらず食堂が続いていることに驚いていた。
糠塚:今回食堂を訪れて一番驚いたのは、髙橋さんだけでなく、地域のお母さんたちの強い思いによって南島原食堂が今も続いているということでした。食堂に行く前は、髙橋さんが中心となって精力的に運営しているのかと思っていましたが、70代や80代の地域のお母さんたちの「この場を続けていきたい」という強い意志が、この食堂の原動力となっていることがとても印象的でした。

糠塚:食堂の見た目も少しばかりのれんが色褪せていましたが、それ以外は本当に変わらなくて。中に入ると食堂スペースのほかに遊具が置いてある遊び場があって、市民の人にも大切に使ってもらえている場所なんだなと実感しました。
南島原食堂づくりは“そうじ”から始まった!?
「私は最近行けていなかったんです」と懐かしそうに振り返るのは当時、南島原市の秘書広報課に所属し、プロジェクトの中心となって担当していた荒木さん。そんな荒木さんに「プロモーション当初から、ここまで続いていることを想定していましたか?」とストレートに伺ってみた。
荒木:初めはこのプロモーションを短期的に成功させることで精一杯でしたね。自治体の事業は1年単位のものが多いので、当時は何年も先のことを考えていくよりも、まず1年をやりきるという気持ちで立ち上げていました。
荒木さんに、プロジェクトの始まりを聞くと、「そうじからなんです」という意外な答えが。廃校となった長野小学校塔ノ坂分校を、プロジェクトチーム全員で清掃するところから始めたそうだ。
荒木:最初は本当にどっから手を付けようか……と途方もない状況でした。人手も少なかったので、まずはできることからやろうと、プロジェクトチームみんなで学校内を掃除するところから始めました。あとは、運動場を整備したり、遊具をペンキで塗ったりも。その時はまだ地域の方も「ここで何が始まるんだ?」と半信半疑だったと思います。でも、市民の方々が大事にしていたこの場所がだんだん綺麗になっていくのを見てもらえるといいなと思ってやっていました。

そうやって地道な作業を続けていくうちに市民から声をかけてもらい、徐々にこの場所に関わる人が増えていったという。
糠塚:「廃校になって地域が静かになったのは寂しかった」と元子さん(吉田さん)も話していましたが、地域の思い出深い場所で何か作業をしているというのは、地域の方にとっても大きな出来事だったんでしょうね。
荒木:そうですね。地域の方にとってやっぱり愛着がある場所だということは、よくわかっていたので、作業をする上で地域の方に説明する時間は大切にしていました。例えば食堂の中は、ワンフロアに改修するために3つの教室の壁を取る必要がありましたが、教室を壊しちゃうことに対して「嫌だな……」と感じる人もいると思います。地域の人にとって大切な場所だからこそ、説明会を重ねるごとに僕自身の責任感も増していき、“この人たちに愛され続ける場所にしたい”と思うようになりました。
食堂を長く続けるために、本当に必要な人はだれか
プロモーションが始まってからも市民と一緒に食堂に立ち、皿洗いや調理も行っていた荒木さん。プロモーションの期限が近づくにつれ、いつの間にか“この先の食堂の姿”を現実的に考えるようになっていた。
荒木:1年間、地域の人たちと一緒に南島原食堂を運営してきたことで思い入れが生まれ、「この先も続いてほしい」という気持ちが強まっていました。でも実際のところ、継続していくとなると運営資金が必要になります。僕自身がそのお金を出せるわけではないし、運営の大変さも実感しているからこそ、一方的に市民の方にお任せすることはできない、とモヤモヤしていました。
どうしたらこのハードルを乗り越えることができるのか。この場を続けていくための選択肢のひとつとして食堂運営を“民間企業”に託すことも話に上がっていたという。それでも最終的に「市民に託す」ことを決めたのには理由があった。
荒木:この場所を運営することだけを考えるなら、民間企業に運営をお願いするというのでもよかったと思いますが、南島原食堂の価値は、「そこにずっとあり続けること」だと思ったんです。そして、あり続けるためには、“長く愛着を持って続けてくれる人”が必要です。プロジェクトチーム内で話し合いを重ねる中で、それは、長くあの場に関わっていただいた市民の方に託すのが一番だと気づきました。

糠塚:例えば、運営を普通の民間企業に依頼していたら、たぶん利益を上げなければならないという理由で、すぐに「打ち切りだ!」といった判断が下されてしまうと思うんです。でも、それを1回度外視してでも、この場所の本当の価値を捉えたとき、“市民に託していこう”という決断ができたのは、自治体ならではじゃないのかなと思います。
小学校がその場にあることで塔ノ坂に明かりを灯し続けていたように、今度は南島原食堂がその場に存在し続けることが、地域にとっての価値となる。市民にとってこの場所がどんな存在で、今までどのように大切にされてきたのかを知っているプロジェクトチームだからこその決断だ。
トップダウンじゃなく、同じ目線で一緒の未来を見つめる
この7年の間、南島原食堂もまたコロナの猛威に襲われ、他の飲食店と同様に休業を余儀なくされた。しかし、このコロナ禍からの「再開」こそが、改めて荒木さんがこの場所の価値を確信するきっかけとなった。

荒木:コロナ禍で事業を畳んでしまうというお店もいっぱいありましたよね。でも南島原食堂を復活させた髙橋さん、地域のお母さんたちの姿を見て、この食堂が地域にとってもすごく大事な存在になっていると実感しました。そして大事にしていただいていることが、ありがたく、嬉しかったです。
様々なシティプロモーションを担当していた荒木さんとしても、南島原食堂のように市民の手によって続いていく事例は珍しいと言う。あらためて他の事例と何が違っていたのだろう。
糠塚:このプロジェクトを体験した自分として改めて思うのは、市だけがしゃかりきになってやっているわけではない、ということです。市の力だけで作ったというよりは、髙橋さんやお母さん、地域のアルバイトの方など、地域の人たちと一緒につくっていたことが大きかったと思います。

荒木:そうですね。最初、市から市民の方に「この地域で続けてもらえないか、という話が出ているんですが、どうですか?」と話を持ちかけた時は、難しいと判断されるかも……と思いました。ですが、髙橋さんはじめ、みなさん、快く引き受けてくれました。プロモーションの準備段階から一緒にやってきた市民の方にとって、南島原食堂は、すでに「自分たちの場所」として捉えてもらっていたことが大きかったと思います。私たちとしても、最終的に市民の方に引き継ぐことをイメージしてからは、市役所として「こうしてください」、「こうじゃないと駄目ですよ」という話ではなく、地域の方と一緒に“今後の食堂をどうしていくか”という同じ視点で話し合えていたことも重要だったと思います。
市民に引き継ぐ中で“こうしてください”とトップダウン型で下ろすのではなく、どうしたら市民が愛着を持ってこの場を続けていけるのか、そこを一番に考えていく。市としても一から食堂を作り、運営していく苦労を知っているからこそ、この連携がスムーズだったのだろう。
そのままでいい、この場所が続いていくことが本当の価値
最後に今後の南島原食堂について、荒木さんの思いを聞いてみた。「今後の南島原食堂について、どのような場であってほしいですか?」
荒木:僕がそんなに求めることはなくて、そのままでいてくれればって思うんですよね。そのまま続いていけばって。もちろん現状を維持していくこと自体が大変ですし、すごいことだと思うんですが、市民のお母さんたちの笑顔があのまま今後も見られればいいなって思うんですよね。
「今後」というと、「よりお客さんがたくさん集まって……」「収益がどんどん回っていって……」と現状よりも、いわゆる「右肩上がり」の未来を想像しがちだが、荒木さんはこの場にあり続けることが価値だ、と答えた。もちろん、この場所を維持するのが難しいから「あり続けるだけで十分」という意味もあるだろう。でもそれ以上に、この食堂の価値はここに訪れた人たちをいつもと変わらない姿で迎えてくれる場所であることだ、とわかったからだと思う。運営側(市民)とそれを見守る側(自治体)がその価値を共有し続けることこそ、この場が今後も続いていく大きな力の源泉なのだと思った。新しいことを始めるとき、今あるプロジェクトを続けていくとき、どうしても目の前の数字(利益や収益など)を上げることに目が行きがちだ。ただ、そんな時こそ、「この場所・プロジェクトの本当の価値は何か」を問うことが、息の長いプロジェクトにするために最も重要なことなのかもしれない。
編集後記
取材後、荒木さんから「お話ししていく中で当時の記憶が蘇ってきて、久しぶりに『南島原食堂』に行きたくなりましたよ」とメールをいただいた。そうか。“変わらずにあり続ける”ということは、“行きたいときに、いつでも帰れる場所がある”ということでもあるんだ。南島原の出身じゃなくても「おかえりなさい」と温かく迎え入れてくれ、明るく元気づけてくれる吉田さん、長橋さんと、髙橋さんの顔が頭に浮かんだ。きっと荒木さんが南島原食堂ののれんをくぐるときには、とびきりの笑顔で「おかえりなさい」と迎えてもらうに違いない。そんな荒木さんの姿を勝手に想像しながら、取材時に「いってらっしゃい」と私自身も送り出してもらったことを思い出して、私にも新たに帰れる場所が増えた気がしてうれしくなった。
(取材・文 八木)