官民一体となったまちづくり”―よく聞く言葉だけど、言うは易く行うは難し、だ。
しかしこのプロジェクトでは、関係者が口をそろえて「ここまで官民一体になっているところは他にないのでは」と言う。
〈前篇〉では、飛騨市役所職員の今村さんと料理人の北平さんに、なぜそこまで一体感をもてるのか、について伺ったが、〈後篇〉はその第三の立役者、岡本さんが登場。今村さんと北平さんが「官と民の架け橋」と絶賛している彼女の果たした役割とは? ※文中敬称略
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岡本文(おかもと あや)さん飛騨市薬草ビレッジ構想推進プロジェクト 地域プロジェクトマネージャー/NPO法人薬草で飛騨を元気にする会 理事/Lib.(りぶぽわん)代表大阪、福岡、千葉、パリ、ニューヨークでの生活を経て飛騨に移住。飛騨歴5年。出生地は愛媛。新卒でみずほ銀行に勤め、その時の心身の疲れを癒してくれた植物の仕事(生花店)に転身。フランス各地とニューヨークで花を飾る経験を積み、帰国後東京・港区の花屋に勤めている時に飛騨の薬草料理のことを知り、今に至る。
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今村彰伸(いまむら あきのぶ)さん飛騨市商工観光部まちづくり観光課 資源係飛騨市職員。市の薬草事業には、プロジェクトメンバーとして2年、事業担当者として3年の計5年関わっている。
飛騨市(旧古川町)出身。高校卒業後地元を離れるが、7年前にUターン。以前は自然に関わる仕事をしていたこともあり、自然資源である薬草にも興味をもちプロジェクトに参画。様々な人が関わる楽しい薬草事業を目指して奮闘中。 -
北平嗣二(きたひら つぐじ)さんNPO法人 薬草で飛騨を元気にする会 理事長1959年5月19日生まれ。大学卒業後料理の道へ。昭和60年に料理旅館蕪水亭入社。2014年9月8日NPO法人「薬草で飛騨を元気にする会」を設立、理事長就任。現在に至る。
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薬草に魅せられて、飛騨に来た
「山に入ると、ずっと下向いて歩いてますね。あ、ここにも薬草だ、こっちにもある!って。だから、一緒に歩く仲間には、これじゃあ全然前に進まない、ってよく言われます(笑)」 「雪解けの時期が一番わくわくします。雪が解け始めて、わあ、雪の下にこんなかわいい薬草が眠っていたんだ!って見つけるとうれしくて」
そう楽しそうに話すのは、2018年に飛騨市の地域おこし協力隊の「薬草担当」として来た岡本さんだ。「地域おこし協力隊」(以下、協力隊)とは、総務省が所管する取り組みのひとつで、人口減少や高齢化に悩む地方自治体が、都市部から人材を受け入れる制度のこと。協力隊は、その地域に移住し、実際に暮らしながら地域への協力活動を行う。
岡本:協力隊のあり方は、自治体によって少しずつちがいます。ひろく「地域の何でもお助け役」という位置づけで協力隊を募集している自治体もありますが、飛騨市の場合は、担当やテーマごとに募集があります。私は、「薬草担当」として来ましたが、他にも、ドローンの担当とか、広葉樹の担当もあるんですよ。
現在は飛騨市の「地域プロジェクトマネージャー」として、薬草に親しめるワークショップの企画や、地域の様々な関連団体との交流、商品開発の支援、といった活動を通じて、薬草事業の普及に取り組んでいる。
岡本さんが飛騨に来たきっかけは、薬草料理だった。元々植物療法に興味があった岡本さんは、「飛騨に薬草料理がおいしく食べられるお店がある」と知り、すぐに飛騨に向かったという。そのお店とはまさに「蕪水亭」のことであり、これが北平さんとの出会いだった。
ちょうどその頃、飛騨市が協力隊を募集していたタイミングだったこともあり、あれよあれよという間に協力隊として採用が決まったのだそう。
岡本:初めて飛騨に降り立ってから移住が決まるまで、本当にあっという間で。気づいたら飛騨に流れ着いていた、という感覚でしたね。
飛騨に来てすぐ、「市民全員に会おう!」と思いついた
しかし、飛騨に移住してすぐ、岡本さんは薬草事業の現実に直面する。
岡本:私はてっきり、飛騨に住んでる人みんなが薬草で暮らしているものだと思っていたんですけど、行ってみたら、そんな人はほんの一握りで。「飛騨を薬草で活性化」ということを知っている人すらまだまだ少ない状況でした。「え、私、薬草担当で来たのに、これじゃあ薬草担当の岡本です!って言ってもぽかんとされちゃうだろうな」って思いました。
想像していなかった事態。でも岡本さんはすぐに次の行動に出た。
岡本:とにかく最初はもう、「市民全員に会おう!」と。当時飛騨市民は(およそ)2万4千人いたんですけど。ひたすらいきなり(玄関のインターホンを)ピンポンしましたね。地図を片手に、住宅地を片っ端から「千葉から来ました、薬草の地域おこし協力隊の岡本といいます、これからよろしくお願いします」って。会えなかったときは、名刺と一緒に一言書いて置いていったり。
市民全員に会おう、という考えにたどり着くことにまずびっくり。岡本さんは、そんなことを無謀とも思わないような笑顔で、楽しそうに語る。
岡本:突然訪ねてきた私に驚いて、「なんだお前」みたいな感じで見られるときもありましたけど(笑)、中には「うちのおばあちゃんが薬草でこんなことしてて」みたいな話をしてくれた人もいました。「薬草担当です!」ということ以前に、私自身の存在を知ってもらわないと、何も始まらないんですよね。
役割でつながるのではなく、一人の人間としてつながるから、仲間が増える
そんな岡本さんは、協力隊での活動を経て、「地域プロジェクトマネージャー」として採用されることになる。
岡本:協力隊の3年間の任期を終える頃、市から“官と民の架け橋”になってほしいというお話をいただきまして。いまは「地域プロジェクトマネージャー」という立場で、引き続き薬草にかかわっています。
今村:実は、この「地域のプロジェクトマネージャー」という職制は、最近できた制度でして。これも「地域おこし協力隊」と同じく総務省の制度のひとつなんですが、岡本さんは“岐阜県初”の地域プロジェクトマネージャーなんですよ。
「地域プロジェクトマネージャー」とは、地域、行政、民間、外部の関係者をつなぎ、調整や橋渡しをしながらプロジェクトをマネジメントする「ブリッジ人材」のこと。まさに、“官と民の架け橋”。
でも、“架け橋”ってどういうことなのだろうか?どんなことをすると“架け橋”になるのだろうか?
北平:彼女は、とにかく自分から積極的にコミュニケーションをとる。その勢いがまあすごいんですよ。市民とのコミュニケーションはもちろんですが、薬草に関連する人や団体を見つけると、次の瞬間にはすぐに足を運んでましたね。そうやって薬草の仲間をどんどん増やして、ちゃんと自分の糧にしていける。市民全員に会おう!という話もそうですが、もう、これは彼女の特技ですよね。僕には到底できない。
なんとなく、野山で「あ、こんなところにも薬草が!」と見つけるとすぐに駆け寄って大事そうに薬草を愛でる岡本さんの姿と重なるような気がした。見つけて、足を運んで、会話する。それ自体はシンプルなことかもしれないが、それを毎日毎日、ずっとやり続けるのはものすごく体力のいることだ。
岡本:やっぱり何をやるにしても、信頼関係というか、「その取り組みを、どんな人がやっているのか」ということが伝わることって大事なんですよね。役割だけじゃなくて、一人の人間としてつながっていないと仲間にはなれないなって。そうやってコミュニケーションをとっているうちに、応援してくれる人が増えて、いろんな役割を持った人とのつながりの輪がどんどん広がっていきました。
無理やり“全員”でひとつになろうとしない
今村:岡本さんは、どうしても市役所が回そうとしても回せない、目に見えない部分で結構動いてくれています。薬草関連の団体が増えてくると、同じ“薬草”を軸に動いていても考え方はバラバラ、ということも結構出てきて。そういう時、市役所という立場だと、うまく取りもっていかなければならない部分はどうしても出てきてしまいます。でもそういうところを、もうね、岡本さんは何も考えず突撃していく(笑)。
そういう姿勢や性格が、それぞれの団体に受け入れられているんですよね。だから、岡本さんがいなかったら今のようにうまくいっていなかったんじゃないかなと思います。
岡本:市民全員に会おう!と駆け回っていた時に実感したんですが、“市民2万4千人”って本当はものすごい数なんですよね。都会に比べたらもちろん少ないんですけど、会っても会ってもまだ知らない人が大勢いて。「ああ、これだけいろんな人が暮らしているんだな」と。
活動していると、もちろんいいこと言わない人も中にはいます。でも、何でもそうですよね。薬草じゃなくても、「これをやっていきましょう!」と言われたからって、これだけいろんな人がいれば、興味だって人それぞれだから。
だから、地道に活動している中で、「私もやってみたいな」って思ってくれる人をちょっとずつ増やしていって、その輪が広がればそれでいい。そうじゃないと続かん、と思って。無理やり全員で、というのは無理ですよね。
シビックプライドは、つくり出すものではない
人を無理やり変えようとしない―その姿勢は、「シビックプライド」に対する考え方にも表れている。
岡本:たとえば「誇りを持ちましょう!」とか、「誇りを持つように変わりましょう!」といったように、人の気持ちやあり方は変えようとするのはちがうなって。その人自身が幸せだなって思えるならそのままでいいと思っています。「うちの地域はもうこのままでいいから、もう要らんことせんでくれ」みたいな人もいるわけだから。それはそれぞれでいいかなと思うんです。
しいて言うなら、もっとこの良さに気づいていける人が多くなればいいな、というのは感じています。
今村:良さに気づくことが大事、というのは、本当にそうだなって思います。薬草もそうですが、価値のあるものが足元に「ある」ということ自体に気づいていない人は結構多くて。でも、それってなんか「知らなかった」というより、みんな当たり前のように心の中にあったから「あえて考えたこともなかった」という感じなんですよね。
そういう、みんなの心の中に当たり前にあるものを、「実はこれって価値があるものだよね」ってみんなで共有していくことが、まちを良くするための第一歩なのかもなって思います。それがプライドになっていく、というのはもうちょっと先の話であって。
なんというか、シビックプライドって後付けじゃないんでしょうね。後から考えてつくるんじゃなくて、自分の体の中、心の中にずっとあったものに気づくことが大事なんだろうなって個人的には思います。
プロジェクトのこれから
最後に、官と民の架け橋として、今後取り組んでいきたいことについて聞いてみた。
岡本:市内外で薬草活用のノウハウを共有しあう機会を増やしていけたら、より楽しくなるかな、なんて考えています。
私は当初から薬草担当として市内外の方々に対して発信していく立場ではありましたが、それは、薬草のことや飛騨のことを教えてくれる人がいたからこそ出来たんですよね。
自分で見つけたことや自分で作ったことって、「せっかく自分で考えたのに、誰かに教えるのはちょっとなあ」って思うこともあるじゃないですか。それでも、北平さんが薬草料理を通じて得たノウハウを教えてくれたり、薬草関連団体の方が、いろんな知見を惜しみなくシェアしてくれたり、そうやって教えてもらえたから、私も誰かに話せるんですよね。
そういう“ノウハウの交換”みたいな機会をつくることは、飛騨の薬草のことを堂々と話せる環境をつくることにも通じるので、今後取り組んでいきたいと思っています。
〈前篇〉・〈後篇〉にわたって「官民一体」について考えてきた。
「官」と、「民」と、それをつなぐ「架け橋」。それぞれにちがう役割を果たしているが、分業とはちがう。
それに、「一体」という言葉だけを見ると、1つになる・1つのゴールに向かうということに目を向けがちだが、3人の話から感じたのは、広がりだ。異なる“個”が、相互に影響を与えながら、個としてもプロジェクトとしても進化していく。
ここで、〈前篇〉に出てきた北平さんの言葉を思い出す―「自分の利益だけを求めていたら、1は1だけど、地域全体を元気にしていけば、1が10にでも100にでもなる可能性が出てくる」。
当たり前のことだけど、一体になるということは、それ自体が目的なのではなく、“もっと大きく可能性を広げていくため”のチームのあり方なのだ。
個が持っている熱量と能力を尊重し、信じて任せあうことが、本当の一体感を生み出す要なのかもしれない。
編集後記
取材当日、市長にも偶然会った。両手には薬草がどっさり詰まった袋をかかえていた。あまりにも“いま薬草をとってきた人”というような出で立ちだったので、今村さんに「あ、市長です」と紹介されてびっくりした。
今回の取材で出会った人たちはみんな、服に薬草の葉がくっついていたり、道端で薬草を見つけるとすぐに立ちどまってしゃがんだり、両手いっぱいに薬草をかかえていたり… その姿を見るだけで、いかに薬草が生活の一部になっているかがわかる。
最近では、夏休みの課題で薬草を取り上げたい、という子どもが増えてきているそう。北平さんが、「今度その子たちを連れて、薬草の写真を撮りに行くんですよ」と言っていた。きっとその子たちも、薬草をいっぱい頭や服にくっつけて「ただいまー!」と帰ってくるんだろうな。
(取材・文 小関)